「デカフォレストに聞きました」第4回 田中 裕二さん
田中 裕二さん(東京都)
野辺山初参加年:1995年
野辺山初完走年:1995年
野辺山完走回数:14回(1997年大会のみ、50km)
1、ウルトラを始めたきっかけは何ですか?
1994年から皇居デビューし、この一年間で5〜42.195km迄、7レース位参加しました。そしてこの年「秋田内陸リゾート100km」で初参加サブテンを達成した走友会の会長に“フルマラソンを走れれば100kmも走れる!”の言葉に乗って始めました。
2、野辺山ウルトラへ参加のきっかけは何ですか?
第1回大会は、9月9日(土曜日)で金曜日に有給を使えば前後泊出来るのと、当時通っていたスポーツクラブ(東京YMCA)のメンバーも数人参加すると耳にしたので、勢いで決めてしまいました。
勢いで参加を決めた田中さんですが、「ココからがウルトラ」とアドバイスされた75km以降もしっかりと走りきり、初ウルトラでの完走を達成しました。
3、野辺山ウルトラの魅力は何ですか?
- 標高1,355mからスタートし、最高1,908m・最低880mの100kmを走る上での標高差1,028mは他では体験出来ない素敵なコースレイアウト。
- 制限時間14時間、ここで13時間以内でゴール出来れば他の100km殆んどにクリア出来そうな過酷な場所。
- 都心から3時間たらずのアクセスと、綺麗な空気。眼が回る位満天の星空。そしてエイドを始め応援してくれる心温まる程素敵な人々達。
他にもウルトラに出た田中さん。しかし現在は「野辺山にしか出ない」と言い切ってくださいました。「自然の厳しさ」と「人々あたたかさ」こそ田中さんを魅了する野辺山ウルトラの特徴です。
4、デカフォレストを目指した瞬間はいつでしたか?(もしくは、目指したきっかけ)
サロマが「サロマンブルー」秋田が「クリスタルランナー」と10回完走すると、称号が有るので何か頂けるかと思い、又一段この大会での階段に上がれると考え10回を目指しました。勝手に走り仲間に「野辺山はグリーン」だ!と話していたら本当にナンバーカードが「グリーン」なった。
10回目完走レースではしっかりとデカフォレストを意識して走られた田中さん。なんとそのレースで自己ベストを出されました。デカフォレストが田中さんの走りを後押しできたようで大変うれしく思います。
5、デカフォレストになって変わったこと、良かったことはありますか?
- 毎年参加している中で、デカフォレストになってナンバーカードの色がグリーンなので、同じグリーンの見知らぬランナーとすれ違う時、お互いに挨拶を交わす様になった。
- エイド等でやはり、見知らぬランナーが「この人は10回完走した、凄い人なんだよ!」とか言われる様になった。
6、あなたにとって「デカフォレスト」とは何ですか?
ひとつの「通過点」です。結果として10回完走しただけで、自分として今は毎年参加するのは、仕事が有って、参加出来るだけの最低限の練習がこなせて、毎年一年間の感謝を込めて野辺山に来る事。大会が続く限り、自分が走れる限り、これからも参加したいと考えてます。
「最低限の練習」はきっと個人差があることでしょう。田中さんにとっては「完走できるだろう」という程度だそうです。記録を狙う、などそれぞれに合った練習を続けることが大切なのでしょう。
7、デカフォレストを目指すランナーへメッセージをお願いします。
デカフォレスト達成ランナーの自分が言うのも可笑しいですが「野辺山ウルトラ」を10回完走するのは、本当に大変な事だと思います。こつこつと、積み上げて下さい。
次回は3月18日。中野克彦さん、小原進(おはらすすむ)さんにご登場いただきます。