「デカフォレストに聞きました」第6回 小原 進さん
小原 進(おはらすすむ)さん(東京都)
野辺山初参加年:1995年
野辺山初完走年:1995年
野辺山完走回数:11回
1、普段の練習方法を教えてください。(月間走行距離、年間大会参加数など)
野辺山参加当初は月間250〜300kmくらい走っていましたが、一昨年あたりから徐々に減り、今は150〜200km/月です。週3回目標の通勤ラン(往復18km)で練習しています。自宅から歩いて5分のところに駒沢公園がありますが、通勤ランで疲れているので、ここでは年2〜3回しか走りません。5月の連休などに八ヶ岳の麓、甲斐小泉にある親戚の山荘から、清里駅や野辺山駅まで往復40〜50kmを走ることもあります。甲斐大泉から天女山の下までの登りや、141号線から美しの森への登りがきついのですが、粘る練習には最適です。
大会への参加は、3月の荒川市民マラソン(フル)、5月の野辺山(100km)、7月の富士登山競走(頂上)、11月の世田谷区246ハーフの年4回です。去年の荒川はチップ付け忘れ、富士登山は申し込み遅れ、246ハーフは落選だったので、2回走って記録は野辺山だけでした。
練習、参加レースも確立されている小原さん。しっかりと走ることが組み込まれた生活を送ってらっしゃるようです。
2、野辺山ウルトラ完走攻略は?(最初の難関、最後の難関、必需品など)
初回は稲子湯の前後で足の付け根が猛烈に痛くなったりしたので、その後何回かは前半を抑え気味にするよう心掛けていました。その後練習の成果もあって山道に慣れてきたので、今では最高地点からの下りでも先のことを気にせず前へ出るようにしています。
私の場合、最初の難関は55kmあたりのだらだら登りです。前半を自然に走りすぎたお返しが、ここで効いてきます。過去2回のリタイアは、いずれも60km前後で力尽きています。気持ちが切れてしまった、と言うのが正確かもしれません。毎回この辺りで少し歩くのですが、桜が散るのを眺めてのどかな気分になってしまうと、リタイアのための言い訳を探し始めています。
気持ち良い天気のときは、要注意です。私は、雨が降ったり、暑すぎたりするときの方が、気持ちが引き締まって完走確率が高く、記録も良くなっていると思います。ここを過ぎてしまえば、あとはいくら歩いてもゴールする自信があります。判り易く言えば、自分に残されている肉体的・精神的パワーを、そこから先のコース上に制限時間内に割り振る感覚が掴めるのです。
「必需品」は、エイドのスタッフや沿道の皆さんの応援です。気持ちが萎えそうになったら、こちらから声をかけます。黙って通り過ぎるより、返ってくる声援がひときわ大きくなるので、一発で効きます。野辺山はエイドがしっかりしているので、体一つで走っています。
「前半を抑える」が完走のコツですね。厳しい状況のときほど頑張れる、というのはいろいろな方からもあがっています。気のゆるみが完走の一番の敵ということでしょうか。
3、デカフォレストを目指した瞬間はいつでしたか?(もしくは、目指したきっかけ)
9回完走後です。それまでは、毎年出ていれば自然にデカフォレストになるんじゃない?としか思っていませんでしたが、10回を目前にリタイアがあったりしたりして意識しました。
4、デカフォレストになった瞬間の気持ちを教えてください。
毎年コース上でお会いする方からお祝いを言われ、格別のゴールでした。最近は家族の都合がつかず一人で参加することが続いていますが、子供にも自慢できることが出来た、と思いました。
お子様にとっても「自慢できる父親」というのは大切なことではないでしょうか。頑張ることの意味を教えてもらうのは頑張っている姿を見ることです。
5、デカフォレストになって変わったこと、良かったことはありますか?
今まで以上に、コース上で声を掛けてもらえる機会が増えたことです。こちらも、走りながら応援しようという余裕が出てきました。歩きながら、の瞬間もありますが。
6、あなたにとって「デカフォレスト」とは何ですか?
数少ない勲章の中の、一番大きいかもしれない一つです。
7、デカフォレストを目指すランナーへメッセージをお願いします。
完走回数ではなく、記録を短縮する楽しみ方もあります。けれども、記録はそのうち頭打ちし、だんだん悪くなります。完走回数は、走り方を工夫すれば一つずつ伸びて行きます。減りはしません。無理をせず、できるだけ永く完走を続ける工夫をするのも、楽しいと思います。
「完走回数は減らない」ということは完走を重ねてきたからこそ言える言葉です。続けることの大変さは誰よりも実感していらっしゃることでしょう。
次回は3月25日。田口實夫さん、橋詰伯美さんにご登場いただきます。