「デカフォレストに聞きました」第10回 川島 安一さん
川島 安一さん(静岡県)
野辺山初参加年:1995年
野辺山初完走年:1996年
野辺山完走回数:13回
1、ウルトラを始めたきっかけは何ですか?
ある時、雑誌ランナーズを読んだ。ウルトラを完走するまでの一部始終が書かれていて、その手記に感動してしまった。それから、どうすれば自分も走ることが出来るか模索が始まった。昼休みに走ることを始め、約一時間の通勤電車も座らないで過ごした。
「書くこと・人と会うこと・栽培すること・走ること」始めた川島さん。ハーフやフルを続ける中で上記の手記に出会ったそうです。
川島さんは「走ること」でデカフォレストを達成しただけでなく、書くこと、人と会うこと、栽培すること、それぞれにおいて現在でも継続して頑張ってらっしゃるそうです。
2、野辺山ウルトラへ参加のきっかけは何ですか?
そんな折、たまたま第一回の開催を知った。よし、第一回から走ってやろうと思ってしまった。ランニング仲間も参加を決めていたことが大きかった。しかし、用意万端して臨んだ第一回の大会は、義父の死去の報があって夜半自宅に引き返し、スタートラインに立つことが出来なかった。
3、 野辺山ウルトラの魅力は何ですか?
標高差やアップダウンなど日本一過酷なウルトラマラソンだということ。それに、八ヶ岳を巡って走る間、山間地特有の雷雨や熊笹の下の残雪、林道を走りながら垣間見る山並み、八ヶ岳で巡りあったランナーとの毎年の出合いなどだ。それに毎回、走り終わるまでには何がしかのドラマが起こる。それは気候変動や体調の具合、時にはアクシデントだったりするが、それを乗り越えて完走する達成感は素晴らしい。唐松の新緑や草花、高原の田畑の変化など、景観も魅力的だ。
川島さんの野辺山における一番のドラマは「雷雨の中のレース」だったそうです。心の中で「もうやめてしまえ」とささやくもう一人の自分との闘いに打ち勝ち、見事完走。沿道の応援の心強さを実感したのもそのレースだったそうです。
4、デカフォレストを目指した瞬間はいつでしたか?(もしくは、目指したきっかけ)
デカフォレストは、ウルトラマラソンを完走するのと同様に、私の一つの目標になった。様々な困難を乗り越えながら、10年間走り続けるという人生の通過点だった。もちろん、走友と競争してきたことも大きな要素だ。
走り続ける川島さんがデカフォレストを意識したのは7回目の完走を果たし、10回完走がより身近になったときだそうです。デカフォレスト達成後の今では、富士山頂マラニック完走を新たなる目標としているとか。常に目標を探し求め、追い続ける姿勢が川島さんを支えているものなのではないでしょうか。
5、デカフォレストになって変わったこと、良かったことはありますか?
人生もウルトラマラソンと同じで、その過程で色んな事に出会う。逃げ出したくなるような事だってある。でも、自分が乗り越えてきた八ヶ岳を思うと、何でも出来る様な自信が涌いてくる。「俺は、デカフォレストだ」と言うプライドは、存外強靭なものだ。
6、あなたにとって「デカフォレスト」とは何ですか?
20年ほど前からランニングを始めた。そうして幾つかのことをしつこく続けてきた。そして今、つくづくと「継続は力」だと思う。デカフォレストは、その一つの証だ。人生 「一事が万事」だと納得している。デカフォレストは、やり遂げるための一里塚だ。そして現在、私の一年は八ヶ岳野辺山100kmの大会を走りぬくためのリズムになっている。
普段から毎週近くの里山を走っていると言う川島さんは、野辺山半年前から特別練習に変更するそうです。徐々に走行距離を延ばし、4月には毎日10kmをこなすとか。この野辺山シフトこそ川島さんの「完走の秘訣」ですね。
7、デカフォレストを目指すランナーへメッセージをお願いします。
一つの事を始めたら、10年はやり続けてみるべきだと思う。そこから何かが見えてくる。そして、それを容易にしてくれるのは仲間の存在だろう。
練習で走行距離を競い、レースでもライバルになる仲間。彼らの存在が川島さんのストレスを吹っ飛ばしてくれる源だとか。一人のレースが一人じゃなくなる、そんな仲間が得られれば、川島さんの言うとおり、目標達成を後押ししてくれることでしょう。
次回は4月1日。村田久男さん、茂木昭和さんにご登場いただきます。