「デカフォレストに聞きました」第19回 城 正幸さん
城 正幸さん(富山県)
野辺山初参加年:1996年
野辺山初完走年:1996年
野辺山完走回数:13回
1、ウルトラを始めたきっかけは何ですか?
人生初のフルマラソンは「思い出に残る大会にしたい!」、そう思い初フルに選んだのは、岐阜の御岳マラソン「高低差1,400m、日本一ハードなフルマラソン」でした。
いきなり日本一を完走し、2年目のゴールの時「まだまだ走れるなー」と思ったのがきっかけです。
そしてウルトラマラソンのことを知り、挑戦することにしました。
城さんが100kmの存在を知ったのは雑誌から。初100km前3ヶ月でそれまでの練習距離の10〜15km/日を20〜25km/日に延ばして備えたそうです。
2、野辺山ウルトラへ参加のきっかけは何ですか?
初ウルトラマラソンも、「思い出に残る大会にしたい」、そう思い、雑誌などで調べたところ野辺山の第2回大会の案内を見つけ、「高低差1,000m」の文字を見て即決しました。
初ウルトラに選んだのが、野辺山との全ての始まりでした。
「日本一ハードなフルマラソン」の御岳完走の城さんにとっては平坦な100kmでは物足りないと、野辺山を選んだそうです。「期待通り」のきつい100kmは城さんを1週間まともに歩けない体にしたとか。しかし野辺山を選び、参加した感想は「良かった」と言う一言に尽きるようです。
3、野辺山ウルトラの魅力は何ですか?
何と言っても、1,000mの高低差の厳しさ、そしてきれいな景色とボランティアの方々のサポートや、私設エイド、沿道の皆さんの応援の優しさ。「飴と鞭」、そのバランスが最高です。
それと、大会の途中に温泉に入れること、他の大会ではありえないサービスですね。
城さんの野辺山の目標は、コース上全ての温泉、稲子、八峰、滝見の3箇所に入ってのフィニッシュ。「1箇所入浴で30分のロス」を見込んで走っているそうです。昨年より登場した八峰の湯により、今までより30分早く走らなければならなくなった、と言います。今年こそ全温泉制覇なるか?!
4、デカフォレストを目指した瞬間はいつでしたか?(もしくは、目指したきっかけ)
まだ、デカフォレストの名前もない、6,7回大会くらいから「10年連続完走!」を目標として意識しました。
短い人生において10年間、何か一つの事をやり遂げることは十分重みがあるし、思い出に残せる。そんな思いがあり挑戦し続けました。
5、デカフォレストになって変わったこと、良かったことはありますか?
ホームページに写真付で掲載されたり、デカフォレストポロシャツを頂いたり、前夜祭に招待していただいたり、特別更衣室を用意していただいたりと、至れり尽くせりの待遇をしていただいており、最高の気分です。
大会当日は特別ゼッケンと言うこともあり、非情に目立ち、「不甲斐ない走りは出来ないなー」といったプレッシャーをやや感じつつも、他の選手から声をかけられることもあり、完走の秘訣なんかを話しながら走るのが楽しくなりました。
野辺山以外の大会では、他の選手と話をする時に、「デカフォレストの一人なんですよ」と必ず話すようになりました。デカフォレストの名前が徐々に有名になってきて、みんなから一目置かれるようになりマラソン話がそれまで以上に盛り上がるようになったことが良かったことですね。
6、あなたにとって「デカフォレスト」とは何ですか?
自分の人生において、初めてもらった「称号」であり、「自身と誇り」の象徴、とにかく走れなくなるまでは、「称号」に恥じない走りを続けたいと思います。
7、デカフォレストを目指すランナーへメッセージをお願いします。
とにかく毎年参加すること!タイムは14時間をたっぷり使って、レースを思いっきり楽しむことを目標としてください。
そして前に進み続けること、絶対にあきらめない事、一人黙々と走らずに、他の選手や、ボランティアの方、沿道の皆さんとの交流を楽しんでください。エイドで美味しいものをいっぱい食べて、更に景色を楽しんだり、温泉に入るゆとりを作ってください。
30分1回の入浴を楽しむことで、10時間の完走タイムが11時間になろうが12時間になろうが「関係ない」と言われる城さん。ただ、温泉に入った後「もう1回走ろう」と言う気持ちに切り替えるのもなかなか大変だとか。「大会を楽しむ」、これがデカフォレストの秘訣なのでしょう。
次回は4月15日。浅野 徹さん、保科 清さんにご登場いただきます。