「デカフォレストに聞きました」第26回 水上 清仁さん
水上 清仁さん(山梨県)
野辺山初参加年:1995年
野辺山初完走年:1995年
野辺山完走回数:14回(1998年のみ50km)
1、ウルトラを始めたきっかけは何ですか?
県内でウルトラレースをやってるんだ、それじゃあ一度だけでも出場してみよう、と思い軽い気持ちで参加しました。
20歳頃から走り始めていた水上さんですが、近場で開かれる10km、ハーフを中心としたレースに参加していたのみ。フルマラソンも3〜4回走ったくらいだったそうです。それがいきなりの富士五湖117km挑戦!何がなんだかわからないうちの完走だったとか・・・。
2、野辺山ウルトラへ参加のきっかけは何ですか?
チャレンジ富士五湖に出た際野辺山のパンフレットがおいてあり、家から近いし、日本を代表する山(富士山、八ヶ岳)の麓を走ることができるので参加している。(ウルトラは富士五湖と野辺山だけ)
水上さん初野辺山感想は「きつい!」の一言。上って上ってまた上る・・・。まだ上るの?とびっくりしたそうです。
3、 野辺山ウルトラの魅力は何ですか?
JR鉄道最高地点は実家と同じ番地で親しみがあり、また来るね〜って感じで14回・・・。レース後半の応援・私設で色々出していただいている所が何ヶ所かあり、またここでも来年・・・と別れる。ウルトラのコースは腹いっぱいと言う感じで、もう食べれない、もう食べれない、と思いながら走ります。(上り、上り、また上り・・・このコースをよく見つけたもんだな〜とレースと自然を楽しんでます)
中学生だった水上さんにお兄さんが教えてくれたJR最高地点の話。野辺山を走り始めてお兄さんの話を懐かしく思い出されたようです。
また63km辺りでスイカを配ってくださっている私設エイドの皆さんとは毎年写真を撮って、翌年渡す交流が続いているそうです。今年も水上さんは63km地点で昨年の写真を渡し、そして来年会うときのために写真を撮られることでしょう。
4、デカフォレストを目指した瞬間はいつでしたか?(もしくは、目指したきっかけ)
レース中辛いとき来年は出場しないと思いつつ数回完走。10回完走すればデカフォレストになれる?デカフォレストになればいいことがある?と思い、走り続けました。
5、デカフォレストになって変わったこと、良かったことはありますか?
レース中何かトラブルがあってもゴールしなければと思って、またガンバローと力がわいてくる。ゼッケンの色が違うので応援している人が名簿を見て名前で呼んでくれるのがまた嬉しい。
名前を呼ばれると「びっくりする」と水上さんは言われますが、やはり名前を呼ばれながらの応援は「すごく嬉しい」もの。応援の皆さんもプログラム片手に選手の名前を呼んでみてください。きっと笑顔で答えてくれるはず。
6、あなたにとって「デカフォレスト」とは何ですか?
知人に話すとウルトラはオオバカレースと言う人がいるが、ごもっとも、間違いないが、デカフォレストはウルトラの勲章だと思います。大会からのご褒美。身体はボロボロ、故障は直らず、でもWデカフォレストを目指し体をいたわってます。
Wデカフォレストを目指す水上さんが心がけているのは体をやわらかく保つためのストレッチ。身体が硬いと怪我もしやすく、レースもままならなくなります。とはいえ故障が続いていて最近はほとんど走れていない水上さん。今年は野辺山のため例年参加している富士五湖も見送り、毎日少しずつ大会に向けて走り始めたそうです。
7、デカフォレストを目指すランナーへメッセージをお願いします。
好きなことを続けることが一番。「継続は力なり」
Wデカフォレストとともに水上さんの一つの目標はまもなく3歳になるお孫さんと一緒にマラソン大会に参加すること。故障の怖さを知り、身体を保つことの難しさも知っている水上さんなら、Wデカフォレストも、お孫さんとのフィニッシュテープも必ず達成できることでしょう。