「デカフォレストに聞きました」第28回 星崎 大和さん
星崎 大和さん(岐阜県)
野辺山初参加年:1995年
野辺山初完走年:1995年
野辺山完走回数:14回
1、普段の練習方法を教えてください(月間走行距離、年間大会参加数など)
- 月間走行距離:220km、週3回程度週末中心の練習1km6分ペース走
- 年間大会参加数:ウルトラ・3回、フル・2~3回、ハーフ以下6回~7回
- 住居場所が低山地なので、練習コースは高低のある道。
2、 野辺山ウルトラ完走攻略は?(最初の難関、最後の難関、必需品など)
- 10kmからの山道で、その日の調子を判断して、上りのペース調整をする。
- 特に稲子湯からの上り坂を歩かないように頑張る。エイドのお汁粉は力になる。
- 小海町での補給と北相木村の折り返し地点までゆっくりでも走りぬく気力維持。
- 南相木村から馬越峠までは歩きも入れて、無理せず体力の回復維持を図る。
- 後半は周囲のランナーと言葉を交わしつつ、「苦しさ」を共感しながら、共に耐えて走る姿を励みにゴールに向かう。
「前半歩くようだと完走は厳しい」と言う星崎さん。初めての100kmで前半の走りが後半の歩きを十分カバーした経験からそう考えるのだとか。今でも後半、60kmからの長い上り坂が一番きついそうです。
3、野辺山ウルトラの魅力を教えてください。
八ヶ岳の雄大な風景の中を走ること。
前半と後半に大きな上り下りのあることが、挑戦と達成感に結びつく。
沿道の応援も定着して、普段感覚で、ほんのりとした交流がある。
目先の風景の変化と気象変化も大会のコースの魅力。
1日かけて走るウルトラでは特に野辺山特有の寒暖の差を実感します。星崎さんは「走りに影響するほど」の差をある意味楽しみながら走られているのでしょう。
また、星崎さんの着ている県名の入っているTシャツで、思わぬ会話も生まれているとか。
4、デカフォレストを目指した瞬間はいつでしたか?(もしくは、目指したきっかけ)
たまたま第一回大会が、自分のウルトラマラソンの初体験で、初回の苦しい走りと完走できたうれしさが大きくて、毎年参加した結果。
意識したのは、10回目で特別なナンバーカードで走ったとき。
5、デカフォレストになって変わったこと、良かったことはありますか?
- コース上で歩いていると気が引けるので、できるだけ走る意識を持つようにしている。
- デカフォレスト同士がコース上で声を掛け合うことが多くなり、励ましになる。
「みんなが走っているところは走ろう」と言う意識を常に持っている星崎さん。しかしながら歩いてしまうこともあるとか。この「意識」と「現実」のギャップを超えて完走を目指しているのでしょう。
また、毎年出会うデカフォレストメンバーとはコース上はもちろん、会場や宿でもエールを交換し、互いのモチベーションアップにつなげているそうです。
6、あなたにとって「デカフォレスト」とは何ですか?
連続出場と連続完走の証で、翌年への挑戦意欲となる。
7、今迄で一番印象に残っている野辺山ウルトラでの出来事は何ですか?(面白エピソード、感動話などありましたら)
- 第1回大会で、厳しい残暑の中での自分の走りと歩き、ビデオで見た沖山選手の走り
- 馬越峠の下りをひざの痛みにて耐えながら歩いて下る情けない思い
第1回参加の年は、小海町で疲れ、55km付近でリタイアを意識したそうです。しかし座り込んでしまった星崎さんの前を、歩きながらも前進するランナーを見ているうちに、「前進するのみ」と歩き始め、何とか完走。この思いが2回目以降の参加、完走に繋がっているということです。
また、その同じ会で、峠も走り抜けていく沖山選手(第1回優勝者)にテレビで見るマラソンランナーとは別世界の力強さを感じたそうです。ちなみに、馬越の下りを歩いたのはひざの痛みがあったときのみで、普段は快調に走り、上りのロスを取り戻しているそうです。
8、15回大会に向けて抱負をお願いします。
何とか完走して、還暦の記念にしたい。
9、デカフォレストを目指すランナーへメッセージをお願いします。
100km以上の距離は、故障のある身体では走りぬくのは厳しいので、故障の完治としないように気をつけること。楽しく走る日々の練習の先にきっと見えてくる。
楽しくなければ続けられない。レースの苦しみも、辛さも吹っ飛ばすのは「走るのが楽しい」と言う気持ちなのかもしれません。走り続ける体を維持するのも走り続けたいから。自分自身が走ること、大会に参加することを楽しむことができた先にデカフォレストが待っています。
次回は、5月5日。14回連続完走のデカフォレスト 新井節夫さんにご登場いただきます。