「デカフォレストに聞きました」第31回 伊藤 正利さん
伊藤 正利さん(愛知県)
野辺山初参加年:1995年
野辺山初完走年:1995年
野辺山完走回数:14回
1、普段の練習方法を教えてください(月間走行距離、年間大会参加数など)
時間ができたときに7分/kmペースで走るのみ。月間200~250km。
年間大会参加は15~20大会でほとんどがフルまたはウルトラ。
2、野辺山ウルトラ完走攻略は?(最初の難関、最後の難関、必需品など)
林道、南北相木村の往復、馬越峠と3つのヤマがあり、毎年どこかで「もう走りたくない」と言う気持ちが頭をよぎる。
時間的には前半6時間、後半7時間を目処としている。
「もう走りたくない」と思ったときの伊藤さんはあえて「走ること」から意識を離すそうです。そのために近くを走るランナーに話しかけて、その会話を楽しみ気分転換をはかる。そしてまた改めてレースに戻る。「走りたくない」と思ったはずのレースで「先へ進もう」と気持ちを切り替えさせてくれるのは、苦しさを理解しあえる「隣のランナー」なのでしょう。
3、野辺山ウルトラの魅力を教えてください。
次々に変化するコースとその景色のすばらしさ。元気付けてくれるエイドの応援。
伊藤さんお勧めのビューポイントは約10km地点。天気がよければ左側に富士山が顔を出します。その次は現在42kmの部フィニッシュ地点でもある八峰の湯。開けた景色に圧倒されるはず。最後はやはり馬越峠のてっぺん。きつい峠を上りきれば見える景色も際立っています。
4、デカフォレストを目指した瞬間はいつでしたか?(もしくは、目指したきっかけ)
特別目指したことはなかったが、他の大会の様子を見ていてこの野辺山にもそういった目標ができたらいいなとは思いました。
多分7回目か8回目あたりで意識しました。
5、デカフォレストになって変わったこと、良かったことはありますか?
年間のレースの中心になった。野辺山を完走するためにアップダウンのコースでできるだけ走ったり、体調を整えたり、精神的な励みにもなっている。
6、あなたにとって「デカフォレスト」とは何ですか?
晴れがましさであり、誇り。
人生の屋台骨。
7、今迄で一番印象に残っている野辺山ウルトラでの出来事は何ですか?(面白エピソード、感動話などありましたら)
第1回大会が自身初の100kmでもあり、最も記憶に残っている。70km過ぎからは「健康のために走り始めたのに100kmなんて健康に悪い。二度と走るものか」と自分に言い聞かせつつ走った。
痛い身体に鞭打って完走できたときのあの感動と痛みは今でも思い出すと涙します。
「二度と走るものか」と誓ったはずの野辺山ウルトラに2回目があったのはなぜ?
なんと1~2週間ほどして「あの身体の痛みが懐かしくなった」そうです。野辺山が初ウルトラでもあった伊藤さんにとって、今まで経験したことのない身体の痛みであり、その痛みがあったからこその完走したときの充実感と感動だったのでしょう。「痛みと感動をもう一度・・・」と走っているうちにデカフォレストになっていたのかもしれません。
8、15回大会に向けて抱負をお願いします。
今年も大いに楽しみ大いに苦しみながら絶対完走します。
9、デカフォレストを目指すランナーへメッセージをお願いします。
どんな100kmレースでもそのレース中に好・不調は必ずやってくる。その不調なときに「デカフォレストだ」という心の支えが完走に導いてくれる。自信に繋がっている。
単なる称号ではない。一人でも多くのデカフォレスト誕生を期待します。
「単なる称号ではない」、デカフォレスト達成後も連続完走を続けられている伊藤さんだからこその言葉です。デカフォレストが1人でも多くのランナーの走り続ける目標となるように、そして1人でも多くのデカフォレストを次のステージへと導く糧となるように、これからも「デカフォレスト」は野辺山を走るランナーの挑戦を受け続けることでしょう。
次回は、5月12日の更新です。