2007年12月アーカイブ

 12月23日、47都道府県の高校が集う駅伝全国大会が今年も京都の都大路を舞台に熱い戦いが繰り広げられた。高校生のレベルが上がり、今や7区間42.195kmをなんと2時間1分台で走破してしまうほどである。また、出場校には外国人留学生を擁するチームが珍しくなくなり国際色も豊かだ。
 長距離走でレベルアップを目指す選手は当然のごとく目標を持って日夜トレーニングに励んでいるわけだが、最近の傾向をみると、どうやら正月の箱根駅伝(東京箱根間関東大学選手権)をゴールに見据えている諸君が圧倒的に多いようである。歴史と伝統に彩られた箱根駅伝はマスコミの影響もあり、テレビ中継の視聴率は毎年驚異的数字を叩き出している。確かに、規制された天下の国道1号を母校の期待を一身に背負って走る醍醐味はランナー冥利に尽きることかも知れないし、チームのレギュラーを目指すことに青春の血とエネルギーを燃やすことも学生生活での大きな句読点になっていることも事実だ、が、彼らの長距離走の到達点が大学駅伝になってしまっている(そればかりではないが・・)現状はとても残念で仕方が無い。
 近年、男子マラソンが世界レベルから水をあけられている、という現実を見せられたとき、何とか互角の戦いをしてくれるランナーがひとりでも多く育って欲しいと願うのは私だけの希望ではないはずだ・・。

皇居ランニング

2007年12月17日
皇居のランニングコースでチャリティマラソンに参加  12月16日(日)晴れ。皇居のランニングコースでチャリティマラソンに参加した。
 いまや、ジョギングメッカの皇居だが、国内のジョギングブームに火をつけたのはここだと聞いている。昭和50年前後、商用で来日した外国人が滞在中、朝食前に皇居周りをジョギングしている姿を見ていた日本のサラリーマンやOLたちが真似て走り始めたことかららしい。昭和51年に創刊された市民ランニングの専門誌が誕生したのもこの頃。それまでは「長距離を走る人」は一般人から見ると別世界の人で、彼らはアジア大会やオリンピックなどで、自分たちに代わって世界を相手に戦ってくれる「特別な人」「特別な世界」であった。だからジャージやランニングウェアに身を包んで戸外を走ることすら気恥ずかしい感じがして、(私自身)人知れず積む練習も目立たない服装で、夕方か夜間にやっていたものである。ところが最近は健康志向もさることながら、おそらくは「シャイな日本人」の自己表現方法のひとつとして、市民マラソン大会への出場が出現し、一気に広まっていったのではないだろうか?あるいは、戦後、「国の復興は経済から」を合言葉にひたすら仕事に邁進してきた市民が、何かを楽しむことに目を向け始めた深層心理の発露、と受け取れなくも無い。
 このトレンドは、若者たちからではなく、40代以降のいわば中高年を中心に湧き上がっていたことも興味深い。かくいう私もこの時期からランニングを始めている。距離設定も最近こそ、フルかハーフがメイン種目になっているが、当時は15キロとか30キロとか、バラエティに富んだ大会があった。これは、規制するコースの道路事情や運営体制が背景にあったものと思われるが、ひとつには、ランナー自体の走力も微妙に関係していたのではないか?と思う。さらに、市民マラソン大会への参加が「有料」になったのも大きな変化である。マラソン大会への参加に金を払う習慣自体がそれまでの国内にはなかったのだ。【マラソン ⇒ 健康 ⇒ 体力向上 ⇒ 「公が開催するもの」 = 無料 = 常識】が一般的だった。これは戦後始まった「国民体育大会(国体)」が文部省(現、文部科学省)主導で行われていたことや、日本体育協会がその運営組織の束ね役(今もそうだが)として傘下の組織を主導していたことに起因していたものだ、と思える。スポーツ=教育、という概念があり、その呪縛から市民が解き放たれたことを示唆した変化の兆しだったのかも知れない。
 ところで、「皇居ランニングコース」は毎年、テレビの仕事で何周も走っているので、今までの周回数は数えきれないほどだが、ゼッケンをつけて走るのは20数年ぶり?大勢の参加者に混じって、ゆっくり走る皇居外周は、心地よい開放感に包まれ、実に爽快!だった。

青島太平洋マラソン

2007年12月13日
青島太平洋マラソン 12月9日、初めて青島太平洋マラソンに行った。
 ゲスト参加の欽ちゃんのサポートと東君(失礼!ずーっとそう呼ばせて頂いているので)との再会を兼ねての訪問。21年前に民間中心で立ち上げた大会と伺ったが、東国原知事の就任で、俄然、参加者が増え、今年は1万人超の大会になった。宮崎総合公園には巨人軍のキャンプ地サンマリンスタジアムを中心に複数の野球場や陸上競技場などが併設された、実に立派な公園だ。
 欽ちゃんは参加者の応援をしながらの5kmにエントリーし、完走したわけだが、国民的アイドルは健在、物凄い人気。「24時間テレビ」と同じように、沿道の応援者は勿論、5キロ・ハーフの参加者とコース上でもハイタッチを丁寧に繰り返した。本当に、優しさの塊みたいな人である。日頃、直接交流することはない人々と、わずかな機会・時間でも触れ合おうとする大将の姿勢には脱帽。「楽しんで走ること」のあり方を勉強させて頂いた青島太平洋マラソンでした。

湘南平

2007年12月 3日
 12月2日、久しぶりに晩秋の湘南平を走った。
 ここ3年半の間に二度、腰の手術をしたため、体は劇的に劣化している。皮は弛み、筋力は衰えて、悲惨な状況になっている。しかし、高麗神社の裏側から登る湘南平の登山道は、いつ来てもゆったりと私を迎えてくれる。楓・しいの木・ぶな・ケヤキなど落葉した木々の葉で埋め尽くされた山道は、さながら「ウッドチップ」を敷き詰めたように脚に優しい。急な上り坂で肺は一気にフル稼動し、脚の筋肉もパンパンに張ってくる・・・。苦しい、しかし、この苦しさが「自分の今」を実感できて内心は嬉しくなってくる。
 過去、30年近く、故障のあと怪我のあとには必ずこの湘南平に入って、自分を見つめ直すことにしている。故障後のランニング、自分は総合筋力(全身の筋力)回復こそが最適と思っている。背・腹・腰・脚そして心肺と関節を回復させること。それには不整地とアップダウンをゆっくり走ることが効果的。
 20分の登りを終え、湘南平の東端をあがると、眼前に広がる相模湾の眺望が開ける。
 「美しい!」澄み切った空気の中で、湘南の海岸線や江の島・伊豆半島・三浦半島を一望するとき、湘南の素晴らしさが五体に染み込んでくる。

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