2009年1月アーカイブ

宮古島ウルトラマラソンを終えて 日清ファルマ企画でウルトラマラソン初チャレンジランナーと宮古島に来ている。  チャレンジャーは走力、経験など背景がそれぞれ異なる男女6人だったが、見事全員が好成績で完走、入賞を果たし、感激・感涙にむせびながらのウルトラ初体験は幕を閉じた。  南国宮古島は快晴、日中は体感20℃以上に感じる気温と乾燥した空気はウルトラマラソンのコンディションとしては快適の部類。島特有の起伏に富んだコースだが、次々に変わる海沿いの景色は秀逸。  企画オーディションに合格してから、トレーナーや栄養士、医師そして企画プランを提供した日清製粉など、多彩で恵まれた指導陣のもとで、初めてのウルトラマラソンを体験できたランナーの皆さんは幸せだと思う。そして、それぞれのランナーが環境の良し悪しはともかく、真摯な姿勢で懸命にゴールを目指し、目標以上の内容で企画に応え、全員が異口同音に熱い感謝のコメントを伝えていた姿は、清々しさと感動を覚える光景だった。  今回のチャレンジャー達が新しいウルトラマラソンの愛好者として逞しく、そして心優しきランナーに育ってゆくことを願いつつ宮古島をあとにした。  http://www.strongholds.jp/ultrakikakusn.html

 16日。初めて宮古島に来た。日中は18℃くらいまで気温が上がり、この時期は湿度も低いため快適!ゴーヤやかぼちゃが採れるそうだ。期待していたマンゴーの収穫は夏だって(ガックリ!)。海が美しく、食も豊富。
 当地を訪れたお医者さんがそのまま居着くことが多く、5万人の人口に対して診療所だけでも30箇所以上もあるとか、なんと羨ましい話である。

宮古島ウルトラマラソン

初詣

2009年1月13日

鏡開きのこの日、鎌倉鶴ヶ岡八幡宮に初詣にゆく。今年は不況を反映して参拝客がいつもより多い感じがする。私は鶴ヶ岡八幡宮が自分に馴染んでいる。サラリーマン時代、ランニングを始めたのが市内の大船だったこともあって、北鎌倉~建長寺裏山~由比ヶ浜~七里ヶ浜は、マイコースと呼ぶほど走り回った思い出がいっぱいだ。
 武士の歴史的な事物、山から海にかけての自然、そして今風にいえばグルメを堪能できる店など豊かで恵まれた土地柄だ。本日は、鎌倉山「擂亭」でそば定食に舌鼓をうつ。
 2009年が息災でありますように、二礼二拍手一礼。

千倉漁港から

2009年1月 6日

 元旦に鴨川から出航した寛平さんだったが、時化で進めず、千倉漁港で待機していた。
わたしは一度、箱根駅伝のスタート地点・大手町に出向き、山梨学院大学の上田監督と会食、そのあと千倉に駆けつけた。
 そして、3日午前9時05分、風の神エオラス号が今度こそ外海へ出航していった。外房の海はまだ三角波が立つあまり良好なコンディションとはいえなかったが、寛平さんと僚友比企啓之は奥さんと仲間に見送られ一万キロ先のロサンゼルスを目指した。

千倉漁港から

 今年の私のテーマは「身体の修復」。股関節障害を筋力回復でリカバリーするわけだから、かなり困難な課題。歳(61歳)からいっても回復力はすでに低下しているのだから、どこまでできるか分からない。だが、「座して後退を待つより、攻めて僅かな可能性に賭ける」ほうが納得できる。

ついに寛平さん出港

2009年1月 2日
2009年元旦朝8時50分、千葉県鴨川漁港には鴨川中の住民が集まったんじゃあないか?というほどの人で溢れかえった。寛平さんの見送り人だ。寛平さん、相方の比企さん、ともに腹をくくるしかない、といった表情で声援に応えていた。光代夫人をはじめ、親族・芸人仲間揃って見送り。一様に胸を詰まらせた表情。冬の太平洋は荒れがちだが、まずは無事を祈りたい。
私は今月からアメリカ横断ルート設定とヨーロッパルートの事前検討に入る。
頑張れ!!寛平、比企、絶対乗り切って来いよ!!!!!!

ついに寛平さん出港1 ついに寛平さん出港2

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