2009年2月アーカイブ

 22日、今日は『横浜国際女子駅伝』のファイナル。
 1983年に始まった国内でも屈指の女子駅伝で、イングリット・クリスチャンセンやロサ・モタなどの国際スターをはじめ、古くは佐々木七恵さんや増田明美さん、松野明美さんといった日本女子長距離界を牽引してくれたランナーたちが走った大会。
 30年の昔、私はこの大会でコース整理員を何度もしていたことがあった・・・つい昨日のような気がする。トップランナーの走りをまのあたりにして心が踊った記憶が懐かしくもあり、今年が最後となる淋しさもあり・・・。

 栃木県下野市に講演で伺った。平成18年に国分寺町、南河内町、石橋町が合併して誕生した新しい市である。
 遠くに男体山を頂にもつ山並みが連なり、その裾野に開けた下野市は古くからかんぴょうやネギの産地としても有名だが、国分寺や国分尼寺、下野薬師寺などが置かれている歴史の街でもある。この日は快晴だったが、時折吹く風は男体おろしなのか肌を刺すほど冷たかった。
 ちいさなホールに5、60人の聴衆が集まり、スポーツでできる地域づくりの方法や大会の立ち上げ方、健康の保ち方などを『24時間テレビ』でのエピソードを交え、90分ほどしゃべらせて頂いた。
 みなさん熱心に耳を傾けて頂き、身近な質問のやりとりもあり、楽し講演会になった気がする。
 ところで、このあたりは実は懐かしい土地だった。下野市を南北に貫く動脈、日光街道は80年代に走破したことがあったからだ。
下野市講演会

57歳からの宿題

2009年2月 9日
 2月6日。今日は終日身体のチェック。私の身体はかなりシリアスな状態になっている。
 筋肉や内臓は至って健康だが骨がボロボロ。頚椎は5番目と6番目にヘルニアが出かかっている。胸椎は一応11個健在。問題は腰椎だ。腰には五つの骨があるがすべての腰椎と椎間板がすでに80代になってしまっているらしい。
 元凶は腰椎1、2番間の椎間板圧迫骨折にある。この椎間板が潰れてしまったのは十代後半。自覚がないままランニングを始め、症状が顕著に現れたのは55才のとき。それまでは自分なりに鍛えてきた筋力でかろうじて腰骨を支えてきたわけだが、その筋力に衰えが始まった途端にヘルニアという「障害」という形で現れてきたのだ。これは手強かった。まだ中枢神経が通っている第12胸椎と第1腰椎の間にヘルニアが大きく出てしまったのだ。これはきつかった。激痛との闘いは朝の50ミリグラムの座薬を入れることから始まり、杖をつき、低反発素材の敷物を持参しながらの行動はなんともできない辛さとなった。
 発症が2004年9月3日、それから掛かり付けを皮切りに何軒もの医者や治療院を廻るが結局、時間切れで手術、という手段を選択。これが結果としてさらなる課題を引き起こす引金になってしまった。57才にして新たに宿題を与えられることになった。

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