2009年3月アーカイブ

 7:28 Start  気温10℃ 湿度19%

 3泊したKingmanのQuality-innを出発、今朝も寒い!標高が上がるにしたがって確実に気温は下がっている。風が吹くと体感気温は更に低く感じられ、寛平さんはジャージの上からWBを一枚着こんでスタートした。

 DAY16の出発地点の標高は1053m。これからは更に高くなってゆくから、寒さ対策もしてゆくことになる。スタートして30分くらい経ったとき、一台の車が寛平さんのところへ。日本人の応援者だ。二言三言、言葉を交わして走り始めた。緩やかな上り坂。この国はどこに行っても多少の起伏はあるが、そのいずれもがともかく長い。基本、国土の広さに比例するかのように、直線も、上りも、下りも長く、一言でいえばタフだ。

 最初の坂道、HackBerryに入ったところで土産物と軽い飲食店を見つけ覗きに入り、店のオヤジさんとあれこれのやりとりを楽しんだらしい。5.5マイル(およそ9km)地点、気温はあがり13℃、寛平さんWBの上着を脱ぐ。「5kmほど行くわ、もう二つやっつけたから三つ目や」(5kmをひとつの区切りにおいてあり、10kmをふたつ、と呼んでるらしい)。

 ここら辺りはHualapai Indian Reservationといってインディアン居住区になっていて、全米のいたるところにこのようなエリアがある。つまり、先住民のインディアンの居住場所が保証されていて、そこは基本的に、ある意味治外法権が今日でもあるのだそうである。アメリカ国内地図をみると、なるほどあちこちにそのエリアがしるされてある。MESA(台地)が左右に続く。それこそ狼煙が上がってインディアンが出てきそうな風景だ。

 スタートして一時間半の14.2km地点で、寛平さん「昼は12時くらいで頼むわ・・・27kmくらいで」。サポートチームは先行して食事の準備に向かう。今日はカレーうどんと味噌仕立てのおじや。おじやには玉子を落とす。それに果物と小倉のあんパン、差し入れのどら焼。毎日、50km以上走るから体力の消耗は激しい。だからよく食べるし、摂取カロリーも4000kcal以上とらないと、どんどん身が細ってしまう。走り始めて二週間が経ち、ようやく朝夕の体重差が1kg前後で落ち着きはじめた。つまり、運動量と食べ物摂取のバランスもとれるようになってきている。これからは食べ物の中身も工夫し、口から食べる生食では取りきれない栄養をサプリメントで補ってゆかないと、いつかはバランスを崩す可能性がある。頼んででも食べてもらわなければならない。

 寛平さんの走りは日を追って安定感が増してきている。毎日の目標を50km以上に置いて走っているが、昼食と歩き、状況を伝えるためのロケに費やす時間を除くと走りに使っている時間は概ね7時間30分くらい。1kmを8分30秒くらいで走っている。このペースでさらに安定していって欲しい。

 午後から少し風がでてきた。気温は相変わらず上がらない。今日のゴールはPeach Springs。インディアン居住区脇にあり、ホテルの前には桃の花が咲いていた。ここはグランドキャニオンのラフティングを楽しむ人たちの拠点にもなっているらしい。いくつもの坂とげんなりする直線路を走り繋いで16:52に今日のゴール。寛平さんの今日の感想「今日はめっちゃ疲れたわ!」

 16:52 Goal 走行距離:52.2km
 今日はアースマラソン2回目の「Run with KANPEI」day。

 KingmanのMOHAVE MUSEUMの集合場所には親子連れ20人あまりの皆さんが集まって寛平さんを待ちわびていた。みなさんから差し入れをどっさり頂きました!おにぎり、玉子焼き、豆腐のすき焼き風煮込み、お好み焼きからイチゴ、パイナップル、ビールなどホントにたくさん頂き、それぞれがすべて手の込んだこころづくしの品々ばかり(寛平さんはもとより、サポートスタッフ全員がモーテルに戻ってから貪るようにしてご馳走になりました)で、在米の日本のみなさんの温かい気持ちを肌とお腹で感じることができました。なかにはメッセージがついたおはぎまであり、一同感激。

 寛平さんから皆さんにお礼の挨拶、「みなさんホンマありがとう!頑張りますネ。ほな、みんなで走りましょか?」寛平さんのリードでKingmanの町を走る。町並みは旧き良き時代のアメリカ的な佇まいが色濃く残り雰囲気がある。初めて走る人も多いし、子どもと一緒に走る人もいる。Run with KANPEIではアメリカに住んでいる日本人にとってはエポックな出来事だし、普段交流のなかった日本人同士の新しいネットワークをつくってゆくような役目も結果的に果たしていっている気がする。

 寛平さんの履いているシューズはニューバランスのM966で北米横断の足元を支えている。ウルトラに対応したシューズでビールのサポートもしっかりしていて、アッパーは通気性に優れたものだ。しかし、シューズの底(アウトソール)減りは異常に早い。右足は3日でミッドソールを削ってしまう。寛平さん自身も云っているが、路面をうまく使って足に負担をかけないように走るには右足をローラーのように滑らせて左足は粗いアスファルトを足で掴んで右足の動きを支える動きをする。つまり膝や股関節、脚筋のダメージを最小限に抑えて走るにはこの方法が一番、という走法に徹している結果だ。

 KingmanでのRun with KANPEIは約8kをみなさんと走って終了。寛平さんは参加者の皆さんに見送られて東を目指す。ひとときの安息から再び現実の世界に戻る。昼食は差し入れで頂いた牛肉のすき焼き風煮込みとおにぎり、玉子入り、味噌汁、じゃこの佃煮、玉子焼き、グレープフルーツ。

 さあ、あと25kmだ、がんばれ、寛平さん!
 今朝、ホテルの出発時間になっても寛平さんが現れないので部屋にいってみたら、寝呆けた顔をして出てきた。「どうしたんですか?」とたずねたら「モーニングコールが来なかったから起きられへんかった。おかしいな・・いつもかみはんからくるんやけど・・」となんだかブツブツ云っている。光代夫人とは毎朝、モーニングコールでコミュニケーションをとっていたのだ。「食事をもってきましたから、食べてからゆっくり出かけましょう」と云って温かいベーグルとエッグマフィン、野菜サラダと牛乳、そしてカロリーメイトを差し出した。と、突然「そや、携帯充電するの忘れてた!」。

 昨日から本格的に長いアップダウンが連続しているので、右膝周囲にダメージが出始めてきている。長い下りではすねもふくらはぎもかなり使うから膝蓋骨靭帯に軽い炎症が起こっていて、これにはアイシングで冷やして患部の炎症をとらなければいけないのだが、寛平さん、なかなかじっくりやってくれない。ホントに辛くなり、シリアスな状況にならないと受け入れないので、少し様子を見ながら対応しようと思う。

 Laughlinを出るとすぐに渡る川がコロラド川。川が州境になっていて、そこからはArizonaだ。目の前を立ち塞ぐようにBlack Mountainの山並みが聳えている。ここから連続20kmに及ぶ上り坂。寛平さんは斜度6%の急勾配の登りを快調にのぼってゆく。この長さは富士山頂まで登る距離より長く、笑ってしまうほどだ。今朝の気温は18℃、昨日より10℃も高い。湿気が少ない分、体感的には向かい風などより走りやすいかもしれない。

 寛平さんが走っているのはHWYのバイクロード。大型のコンボイなんかもガンガン通り抜けてゆく。大型が来るたびに風圧で飛ばされてしまうほど危険だ。左右に展開される風景は西部劇さながら。岩が風化して土になってゆく過程でできる岩山、台形のものをMesaという。上り詰めたところの標高は1075m。眼下にはGolden Valleyの町。奇岩と砂漠のコントラストが日本人には新鮮な風景。

 11:50の27km地点。ここで昼食準備を始めていると、若い男性二人組とTucsonからはるばる尋ねてくれた親子連れの皆さんが、差し入れ持参で応援にきてくれた。寛平さんの冒険はアメリカに住む日本人には大きな刺激になっていることは確かだ。今日の昼飯は味噌仕立てのお粥(玉子、ホウレン草、ネギ入り)と、ニンジンと玉ねぎをみじん切りで入れたオムレツ、グレープフルーツ、ブドウとイチゴ、それに牛乳。

 気の遠くなるような直線道路R68HWYをさらに東へ東へ進む。長い登り坂と長い下り坂。寛平さん、1mでも東へ進みたいという気持ちがいっぱい。ただ、今日でラン14日目になり、蓄積した疲れもかなり貯まっている頃だ。昼食からの後半18kmの走りがやはり重くなった。まあ、こんな日もある。サポート側は寛平さんが大きなダメージを残さないよう、ランニングフォームや表情などよく観察してタイムリーにアシストするようにしている。バイクカメラのスタッフから、左足が引きずり加減になることが時折ある、と聞き、膝下靭帯の疲労が進行しないようにゴール後、20分のアイシング。

 ランニングで旅をすることを「ジャーニーランニング」という。走って自然を感じ、事物に触れ、人と交わり、心と対話する。長く走ることで五感も研ぎ澄まされてきて、まさに人(つまり自分自身)が風になったかのように昇華を探すランニング。寛平さんは映画「一期一会」みたいになってゆくのだろうか・・・?

 本日の走行、45km。
 7:13、R95号線からの出発。

 今朝、寛平さんは「今日はムチャムチャ時間かけて走ろおもうてんねん。州が変わんねんやろ?いろいろ話したろと思うてな。旅なんやから景色とかあるやん。そんなん話ながら10時間くらいかけて・・」と言ってスタートした。昨日、R95では正面からの強風と風の冷たさに泣かされ、強風の中での体力の消耗を経験し、いずれ疲労などで50キロに時間をかけざるを得ない状況に備えてシミュレーションをしておきたかった部分もあっての発言のような気がした。やはり達人だなぁ、と感心してしまう。

 コースは延々と起伏を繰り返し、風はどんどん強さを増している。11時、Veterans Memorial HW を登りきり、CAとNVの州境に到着!「Welcome NEVADA」の文字が眩しいが、冷たい風で手がかじかんで痛そうだ。弱音を吐かない寛平さんが「寒っいなぁ、何か着るもんない?」とのことで、ダウンジャケットを渡す。ここからしばらくは下り坂。やがてR163とのクロスし、やっと右折する。そこから風向きが横風に変わった。ともかく起伏と風、低温との闘いになっているが、寛平さんは黙々とそれと対峙している。

 12時前、昼食ポイントに到着。ここまで27キロ。いままでのランニングでは進行速度や所要時間を気にしながらの走りばかりだったが、アースにおいては、基本の「気持ち良く走ること」に専念してもらっているし、寛平さんもアースを大きな括りで捉えている。

 昼食はお粥二杯、ホウレン草、玉子入りのチキンラーメン、グレープフルーツ、洋梨、牛乳、カロリーメイト。ウルトラには消化・吸収の良いお粥がいい。これは無垢な食糧だから味噌汁にも佃煮にもなんにでも合う。炊き方をちょっと工夫すれば硬め、軟らかめ、サラサラと縦横無尽である。

 顔に少しむくみがでている。水分、塩分が不足するとこんな感じになってくるから、もっと水分を摂って欲しいのだが、頑固だから症状が出てくるまで云うことを聞かない。これからはこの辺りが寛平さんとのバトルになるのか?まあ、根気よく、ひとつずつ進めてゆこう(と、自分を納得させた)。相変わらず食欲は旺盛なので安心しているが、食事だけでは摂れない栄養をサプリメントで補充。最近はバランスの良いものがあり、栄養をマルチに取れるものと鉄分、カルシウム、マグネシウムあたりを重点的に食べさせてゆきたい。

 NEVADAに入ると景色が変わった。いままでの原野砂漠ではなく、山岳砂漠になった。長い登りを上がり切ったらLake Mead National Recreation Areaと呼ばれる地域に入る。コロラド川に沿って指定された保養エリアである。コロラド川の上流には有名なHoover Damがある。その先はGrand Canyon峡谷だ。また、長い11km続く下り坂。眼下には今日のゴールLaughlinの町が見えてきた。1966年、Laughlinがラスベガスを真似てつくったカジノの町。強風、低温、起伏にもまったくめげずに過去最長の52kmを走り切った!ゴールした寛平さん、さすがに疲労が顔にでている。ともかく、ご飯と睡眠だ。
 月刊「ランナーズ」5月号のP.68に、坂本が寄せた「がんばれ 間寛平さん!!アースマラソン・サポート日記」が掲載されています。
 エオラス号でのトレーニング、寛平さんがスタート前におこなっていた準備の様子などをお伝えしています。是非ご覧ください。

RUNNER'S Wellness STAFF
 寛平さんの一日は、毎朝、4時45分〜5時頃の起床から始まる。
 まずスタッフとモーテルの駐車場で集合し、スタート地点への移動を始める。移動はSupportカーで行うが、カリフォルニアの砂漠地帯にはいってからは遠いところだと100キロほどの移動になる場合があり、朝食はSupportカーの中で食べることが多い。朝が早いのでモーテルの朝食サービスを使うことができないからだ。食事の内容はサンドイッチ、牛乳、果物、カロリーメイトなどが多い。アメリカはサンドイッチといってもハムやチーズなど脂っこいものが多いので、近くのコンビニで玉子やツナサンドなどを調達して食べる。なかなか日本で売っているような玉子サンドやサラダサンドみたいなものは手に入らない。旅はまだはじまったばかりで、食事もできるだけ現地食に身体を慣らしてゆかないと続かない。この辺りは相談しながらやってゆこうと思う。これで腹ごしらえをして、スタート地点に向かう。

 体重、血圧、心搏数を測定する。これは走る前と終わったあとに定期的にチェックしていて、現場でできるヘルスチェックになっている。簡単なデータだが、長い期間積み重ねておくと、微妙な身体の変化を知るための資料にもなるはずだ。そしてランスタート。

 ロングビーチをスタートして二週間が経過、今は日当たり走行距離を50キロアベレージに移そうとしている段階。走り終わりは、ほぼ午後4時頃。マーキングをして、その日の宿舎に入り、再び体重などの測定をする。体重の変化は走前走後で1kgぐらいであれば安定状態とみている。この変化幅が2kg以上あったりすると、体調がどうか?や、食事内容がどうだったか?を調べて対策を考えてゆかなければならないことになる。

 風呂に入って、夕食が5〜7時くらい。リラックスできる時間は夕食後の2時間くらいで、ホッとするひとときになる。寛平さんは洗濯を自分でやる。モーテルのコインランドリーを使ったり、自分で手洗いしたりしている。朝が早いので眠りにつくのは9時か10時くらいだろうか?こんな状態で北米横断の旅をしている。

 カリフォルニア砂漠の走り12日目、50.8kmを無事走破。
 今日は、二度目の休日だぁ〜!
 ここは昨日のゴール地点からおよそ100キロ強離れたところにある町。川沿いの町なので、緑がいっぱいある。

 長い間緑の繁った樹木を見ていなかったので、ホントに新鮮でホッと心が和む。休日だからよけいに強く感じるのかもしれない。貯まった洗濯物を自分の部屋で手洗いする。実はこの手洗い洗濯、絞り方にコツがあって、洗剤でもみ洗いしてすすぎをした後、手で絞るところまでは普通なのだが、更に水分を取るために、モーテル備え付けのバスタオルに洗濯物を寿司を巻く要領でロールし筒状になった洗濯物とタオルを床に3〜5回叩きつける。すると水分はだいたいとれるので、翌朝には渇いた洗濯物が手に入る、という寸法。これは、キャラバンのコツ。

 洗濯物を片付けてからサポートカーの中の食器類の洗い物と調理道具の片付けと不足品の買い出し。今のところは、日本から持ち込んだ食材、調味料と応援で頂いた食べ物でうまくやりくりできている。特に一日一回は日本食、お粥ベースの食事が嗜好にも消化・吸収にも叶っているようなので、当分このペースでゆきたいと考えている。

 当日の朝、皆より早起きして炊飯器にスイッチを入れることが、日課になっているが、お粥はこうして炊いたご飯でつくるのが一番だ、と悟った。このお粥は消化によく、吸収も良いので長旅ランニングには最適。

明日は、再び走りの世界に戻る。金芽米を3カップ炊飯器にしかけて休み、朝は5時50分にホテルを出発予定。
 砂漠の気候は気紛れ。昨日スタート時の気温が13℃あったのに今朝は4℃。なんという違いだろう?カリフォルニアもアリゾナ寄りの砂漠になると人家は勿論、道行く車すら少ない。

 寛平さんの一日の走行距離をアベレージで45〜50キロに設定しているが、アメリカは広大な大地を持つ国。砂漠地帯に入るとモーテルはおろか、人家すら50キロ以上無くなり、場所によっては100キロ以上移動しないと宿がないこともあたりまえになる。

 今日はスタート地点までモーテルから60キロの移動。6時40分、地平線にでっかい太陽が昇り始めた。地球の自転速度で昇ってくる太陽のエナジーが明るさと熱をもってアメリカの大地を照らし始める。砂漠に点在する1000m級の山々の稜線をシルエットにしながら昇る朝日の荘厳さは、まさに厳しさと偉大さを人に誇示するように強烈だ。

 スタート地点で、前日フィニッシュした目印のテープを外すことから、寛平さんの今日が始まる。本日の目標は45キロ。前日は、42キロを昼飯休憩を除くと5時間10分くらいのハイペースで走ってしまった。この手のウルトラマラソンでは1キロを9〜10分くらいのゆっくりしたペースで走ればよく、速く走ることよりも、確実に、身体へのダメージを残さない走りを続けることが必要。

 7時35分、下り坂の道をスタート。快晴なのに気温は上がってこない。砂漠の気候は不思議だ。眼下には果てが見えないくらい広い、砂漠と塩湖と呼ばれるBristol Dry Lake(渇いた湖)。いくつもの木の無い山々、Old Woman MountainとかTurtle Mountainとか名前がついているが、砂漠全体にはDevil's Play Ground(悪魔の遊び場)という名前がついている。厭な名前だけどなるほどなぁ、感心もしてしまう。昨日ほど強風ではないが今日も風が強い。そして昨日は最後まで追い風で「カミカゼが吹いた!」と喜んでいたら今日は逆風、まさに悪魔だ。

 しかし、寛平さんの走りは今日も堅調。路面の荒らさを逆に使ってうまく走っている。時折走り抜ける車のドライバーからも挨拶とも応援ともつかない声がかかる。寛平さんには励みの声掛けになる。塩湖のど真ん中で昼。強風を避けて塩の採取工場のほっ建て小屋に潜りこみ、慌ただしくお粥とサバ缶で食事。うまくできた、できない、などとあれこれ云いながら食べる飯は楽しい。食事を作る私は、かなり必死だが、それも和みの話題になる。

 Amboyで名高いルート66に合流した。60年代まだ白黒テレビ全盛の頃、R66を舞台にしたドラマがヒットした。日本でも流行った記憶がある。北米を横断する代表的なルートである。今はフリーウェイが発達して通行する車も減ったが、今でもハーレーダビットソンなどを駆って走るライダーには人気の街道である。1854年に造られたという「ROYS CAFE」で一服。店の親爺さん、多分70歳くらいだろうか?R66でCAFEをやっているのが自慢なのだろう、R66のことを尋ねると嬉々としていろいろ話してくれた。映画のロケに使われた話やポスターの撮影があったとか・・・。

 さて、寛平さん、今日の予定は45kmだったが、この段階ですでに44km、「まあ、あと一時間走りましょか?」である。1mでも先に行きたい、という気持ちが常にある。夕暮れまでの時間、疲れ具合、明日の休息日のことなどを考えながらの発言と受けとめた。こちらは本人の表情や走るフォームの変化、コースの難易などを考えて、了解を出す。

 16時09分、50.2km地点で本日の走りを切り上げる。
 ロングビーチを離れて今日でラン9日目。昨日から始まった砂漠も今日からさらに本格化してきた。今朝の気温は6:30時点で13℃。昨日より4℃高いので寒さもさほど感じない。

 昨夜は久しぶりに小さいながらHOTELに泊まったので朝はバイキング(とはいっても日本のビジネスホテル並み)。昨日、マーキングした場所まで25キロほど移動して、出発。時刻は7:15。今朝の寛平さんは口数が少ない。理由はわからないけど、歩きは無くジョグからのスタートだ。ちょうど東側に昇った朝日が真正面に輝き、太陽に向かって走ってる感がいっぱいだ。

 30分走ったころから強風が吹き始める。かなりの強い風だが、幸いに送り風で、風に後押しされながら走っているのでペースが速い。2時間10分で16キロ、3時間40分で28キロとペースが速く乱れがない。起伏があり、大きな上り坂が次々に出てくるが、安定している。砂漠の風はどんどん強くなり、あちこちで砂嵐が起こっている。

 昨日おろしたてのシューズは、走り方もあって、右足のソールの減りが早い。踵の外側が中ほどまで減っている。4〜500キロごとの交換が必要となりそうである。

 砂漠に伸びる道路は圧倒的な直線。進んでいることも分からなくなるほどだ。しかし、寛平さんの表情はとびっきり明るい。昼食は約29キロ進んだ道路脇の廃屋の中。生活の痕跡を残していて、強風で吹き飛ぶくらいの建物だが、砂漠では貴重。お粥、野菜入りのチキンラーメン、グレープフルーツとりんごの昼食。「こういう時は何くっても旨いなぁ、そやろ?」これだけ喜んでくれると、実に嬉しい飯炊きオヤジである。

 41.9キロを5時間40分くらいのGoodなペースで走り切ったことになる。
KANPEI EARTH Marathon-090322Day9
 7:04。昨日のGOAL Poiot R62のマーキング地点から。

 幹線道路は車がガンガン走っている。バイクゾーンはあるが寛平さんと自転車以外は危ないのでサポートの車は脇にスペースがあるところで待機しながらサポートすることにした。頂上に薄らと雪を被った山と、巨大な風車を背景にコツコツと走る寛平さんの姿は実にカッコいい!R62は幹線だから交通量はかなり多い。そしてみんな飛ばす。おそらくほとんどの車が100キロくらいで走っているからコンボイのような大型車がうしろから通り過ぎると風圧がすごくて危ない。

 走り始めて9キロ過ぎから5キロほど続く峠越えになった。バイクゾーンも狭くなり、勾配もかなりある。Morango Valleyだ。ここから今日のGOAL地点のYucca Valleyまでは山の谷間に広がる砂漠だ。標高も800m以上あることからHigh desert(高地の砂漠)と呼ばれている。

 Morango Valleyを越えた23キロ地点で昼食の支度をしていたら、妙齢の美女二人が応援にきてくれた。味噌汁と炊き込みご飯持参で。ありがたい!というのは、このところ炊事係になっている私なのだが、現地で買い求めたガスバーナーに祟られているようで、毎回のようにガスの出が悪かったり、出なかったりで満足に火が使えない。今日も取り替えたばかりのバーナーの火が出ず、せっかく準備していた炒め物が用意できないでいた。取り敢えず、今朝炊いた金芽米のご飯でおかゆを作り、玉子をほぐしたほうれん草ソテーを助っ人と一緒に作り、なんとか寛平さんの到着に間に合うことができた。聞けば、彼女たちは16日に泊まったエリアに住んでいる方で、四日間も捜し回ってようやく突き止めた、とのこと。寛平さんが喜んだのはいうまでもない。そして、なんと一人の方はあのV6の井ノ原くんの実姉だった。これにはスタッフ共々ビックリ!!今から12年前、井ノ原くんとは24時間テレビで一緒に仕事をしたことがあったので、懐かしい気持ちでお礼を伝えた。

 この北米横断のキーワードのひとつが「暑さ」ではないか?と思っている。乾燥で発汗の自覚がないまま走るとテキメンに脱水が襲ってくる。そして、もうひとつは砂漠の大地に連なるいくつもの「坂と峠」。この二つを克服するためのエネルギー源、「しっかり食べること」を怠ってはならない、と肝に銘じた。

 走行距離39.7km。着いた町はJoshua Tree tw。今日もあっちぃ、一日でした。
 今朝は日中の暑さを考えてBanningのDays innをいつもより二時間早く出発する。これから夏に向かって日の出が早まり、日の入りが遅くなってゆく。砂漠の日中の暑さは半端ではない、と聞く。昼の暑さをすこしでも回避してゆくには、朝は極力早めにでるしかない。昨日ゴールした地点まで移動、前日残したゴールテーブルを外してからスタートだ。

 スタート地点ではオレンジカウンティーからきたという4人連れの親子とご夫婦が揃いのTシャツを着て応援にきてくれていた。応援ランをしたい、ということで昼食まで寛平さんの後方から走ってゆく。鉄道に沿って7マイル、その先にR10FWのICがあり、鉄道沿いの道は終わり、FWを跨線橋で渡り、止むなくダートの道に入る。当然、路面は土と砂利、岩が混ざった路。この悪路を数マイル走り、palm springsに向かうハイウェイに入る。LAを出てから初めて、訳のわからない道を寛平さんは走ることになった。

 アメリカのフリーウェイは日本の高速道路に相当するようだ。ハイウェイには平面交差する交差点もあれば、人や自転車が走るバイクロードゾーンまで付けられている。ただ、このバイクロードを走っているランナーにはただのひとりにも出会っていない(笑)。この辺りは周囲を山に囲まれた砂漠。山々には至る所に風力発電の風車が林立していて壮観だ。日本のそれとはスケールが全然違い圧倒されてしまう。オバマ大統領の環境政策ではないが、大地の広さの違いを感じざるを得ない。道は単調で長い。

 palm springsとは「椰子の繁る清水の湧く地」というような意味の避寒地で、冬に使うリゾートとして開かれた町らしい。以前はハリウッドスターや富裕層の人達がここで休暇を楽しんでいたらしい。もちろん今もだが。夕べ応援にきてくれた杉山愛ちゃんは毎年この時期palm springsでトレーニングと試合をしているという。

 7:24にスタートした寛平さん、今日はペースが速い後続の応援ランナーが気になるから?気温が低かったこともあるかもしれない、ともかくペースがいい。「10時に飯食べるわ」と、寛平さん。スタートが早く、距離を踏んで腹が減ったらしい。いつの間にか21キロも来ていた。今日こそしっかりしたものを、と思っていたが、ガスコンロの火がうまく出なかったりして作ろうと思っていたものが作れず、差し入れの豚汁に頼ってしまった(明日こそ!)。

 午後1時を過ぎて気温がぐんぐん上昇。寒暖計は38℃を記録。アスファルトからの照り返しで体感としては40℃くらいに感じるだろう。乾燥しているせいか寛平さんからは汗がみえない。こんな時は水分をしっかり採らないと脱水にかかる恐れがあるが、寛平さんには豊富な経験から自分の体調調整力は抜群だ。ホントに強い。この強靭さをこれからどれだけ見せてもらうことになるのだろう?楽しみだ。

 本日の走行距離は41.95km。
 今日は5日ぶりの休日。寛平さんもスタッフもそれぞれに過ごす。

 朝は久しぶりにゆっくりと寝た。とはいっても9:30には目が覚め、モーテルの部屋でウダウダと過ごし、10時過ぎに部屋を出たら寛平さんとばったり。「どこに行ってきたの?」と聞いたら「スタバや」という。「俺も行こう」というと「ほな俺もゆこかぁ」で、二人でスタバへ。

 カフェアメリカーノのミディアムを頼み、ついでにサンドイッチとオーガニックのバニラ味とコーヒー味の牛乳パックを買ってテラスへ。バニラ味を一口飲んだ寛平さん、「なんや、この甘っまいの!どう?」と言うので一口飲んでみると、なるほど甘い!「こんなん飲んでるからブクブク太るんやで・・」。明るい太陽、心地よい風、木のベンチでのんびりしながら他愛ない話をしばし交わす。

 その後、明日のコース下見と炊事器材の買い出しにむかう。相変わらず気温はどんどん高くなる。買い出し先はパームスプリングス。途中の道は遮るものがまったく無い炎天下。これは厳しい。日除けを何か考えないといけない。辺りは砂漠そのものに変わってきている。ここは砂漠の中にできたリゾート地で、トーナメントが開催されるゴルフ場や、かってはメジャーリーグのキャンプが行われていた野球場などがあり、ハリウッドスターが避暑に訪れるようなリゾート地である。この地を舞台にした「避暑地の出来事」なんていう映画があった、と記憶している。一流HOTELがあり、ウォルマートなどのショッピングセンターも充実していて美しい町、という印象。

 夕方、杉山愛ちゃんのママが電話をくれた。丁度、試合を兼ねた合宿にきていて「寛平さんを尋ねたい」ということ。二人がさまざまなロール寿司をどっさりと持って、我々のモーテルまで陣中見舞いにきてくれた。感謝!しばし、ヨットでの奮戦模様や、船内でおこなった筋トレでキン肉マンになってしまった話など大盛り上がりのひとときとなった。
 昨夜は、このエリア最大のホテルに泊まった。寛平夫妻の結婚記念日でもあったし、翌日は夫人も帰国するからゆっくり寛いで頂こうとのスタッフの気持ちでもあった。

 さて、別れの朝、昨日のゴールポイントまで移動し、ここで、光代さんと私の妻は帰国の途につく。ヨットで太平洋横断という未体験ゾーンに向かうときのような悲壮感はお互いになかったものの、今度は肉体を酷使しながらの陸路となるし、runningも多分に精神面の苛酷さも当然でてくる。更に、アメリカとて治安は良くなく、ちょっとした油断からトラブルに遭う危険性も十分あるから、決して平坦なrunningにはならないだろう。それらを考えると、やはり心配は尽きないものである。両婦人はLAXの空港に、チーム寛平は本日の横断コースに向かって、文字どおりの左と右に泣き別れになった。

 気温は今日も27.8℃まであがっている。湿度が20%まで下がるから、汗はどんどん乾く。水分をどんとん補充しながら走らないと、たちまち脱水症にかかってしまうから大変だ。水とアミノバリューを交互に飲みながら前を目指す。

 今日、初めて自分達で昼食を作って食べた。炊飯器で炊いたご飯とチキンラーメン、らっきょう、漬物、キウイ、オレンジ、イチゴが昼食。そして差し入れでいただいたカレーパンとクリームパンだ。ああだ、こうだ、と云いながら食べる食事、これはこれでなかなか楽しいものである。

 本日の走行33.5キロ 。
 快晴。朝、気温11℃/湿度49%。
 寛平さん、START時の体重:59.8 kg 血圧:121〜81 心拍数:79/分。

 今朝はみんな揃ってcocosで朝食。バタークリームがのったパンケーキにメープルシロップをたっぷりかけて頬張る。そして、コーヒーが美味い!

 湿気の少ない晴れた朝は爽やかだ。今朝もアースマラソンのブログを見て来たという現地の女性三人が応援に来てくれ、差し入れを頂く。ホントにありがたい。長年カリフォルニアに住んでいる方が多く、皆さん、寛平さんのファンであり、会いたい気持ちを携えての応援のようだ。

 START前、寛平さんの膝から大腿にかけてをテーピングで補強。wood crest〜MorenoValleyを一路東に向かう。今日のゴール予定は32km先のyucaipa。今朝も光代さんとの歩きから始まる。サポートスタッフの一人と私は、2マイルずつ先行して寛平さんを待つ。アメリカは、路肩でハザードを点けて車を待機させることができないため、モールの駐車場やスペースのある空き地で待機することになる。

 11:15にSTARTして2時間あまりたつ頃には気温が23℃に上がり、湿度は逆に44%と下がってきている。つまり、乾燥してきているということだ。周囲の景色がだんだん変わり、道路の街路樹がきれいだ。Eucalyptusという、柳のような葉をした大木が目立つ。いずれも大きく葉を茂らせていて豊かさを感じる。遥か前方にはBig Bear Mountainという標高4500フィートの山、頂きにはうっすらと雪がある。

 今回の北米横断ではロスからNYまでの最短ルートを設定しようと、日本にいるときにあれこれ模索したが、アメリカの道路事情でフリーウェイは人が走れず、それではと徒歩ルートを探ってみた。しかし、今度は起伏が多すぎたり、歩道が少なく危険だったり、と、うまいルートが見つからず、結局フリーウェイに近い地道を探してルートを作ることになった。車社会のアメリカは、人が道路を走ることはほぼなく、そういった意味でもコースをつくりながらの横断行は難しくも楽しいものがある。

KANPEI EARTH Marathon-090310給食
 今日は、寛平夫妻32回目の結婚記念日。切りよく32キロでrunningを切り上げて、たまにはゆっくり休もうということになった。アメリカ鉄道の2000mはあろうか?という貨物列車を横目で見ながら、四日目、無事ゴール!

 体重は57.4kg、今日だけで2.3kgの減少。明日からはもっと食べてもらわなければ!(笑)
KANPEI EARTH Marathon-090310Day4finishKANPEI EARTH Marathon-090310Day4finish後
KANPEI EARTH Marathon-090315食事  北米三日目。今朝はホテルで朝食。寛平さんの食欲は旺盛。焼きたてのワッフル、昨日地元に住む方からいただいたあんぱんとクリームパン、コーヒーをしっかり食べた。光代夫人がまめまめしく寛平さんの食事の世話をするのだが、スタッフの我々にも恐縮するほどの気配りをしてくださる。これがごく自然で、さりげなさが憎いくらい。ホントに頭が下がる。

 8:30応援に駆け付けてくれた子ども連れの女性に見送られてスタート。気温15℃。この二日間、弱った脚筋力のまま距離を踏んだため、アキレス腱〜ふくらはぎ〜ハムストリングにかけて、張りと痛みが出てきている。今日も恒例となった光代さんとの歩きから始まる。寛平さん、日本にいるときから、夫婦が揃っているときはよく一緒に歩くそうだ(ご馳走様である)。

 身体が温まったらジョグ開始。ホテルのあったcorona〜MagnoliaAve〜Riverside〜6reno Valley へと続く道が本日のコース。スタートしてから10.4キロ、ようやく身体がほぐれた走りが始まったころ「あと15キロ行ったらおかゆやなぁ・・」と寛平さん。「ほしたらあと15キロだと2時間後、12時半か1時前くらい、分かった!」と光代さん、このあたりの呼吸は絶妙。
KANPEI EARTH Marathon-090315食事2KANPEI EARTH Marathon-090310Day3finish

 道は一本道、Van Bulen Ave が続く。22キロを過ぎた辺りからは長い坂道がつづらのように続く。いつの間にか左右はオレンジ畑が続き始めている。そうだ、ここはカリフォルニアだったんだ・・。色づいたオレンジがみどりの木にたわわな実をつけている。アメリカなんだなぁ、といまさらながら感じたものである。走りはようやくテンポの良い走りになってきている。

 昼食は、ヨットの中で「こんなうまいもん」と感じた「カレー粥」。スタッフも一緒に食べた。「どうや?うまいやろ?」と寛平さん。これに二人は「・・・うまいです・・ネ?」果たしてホントに旨かったのか!?光代さん曰く、白粥を「こんなん、白いご飯やろ?坂本さん。」「そうだよネ〜。」と、いうしかなかった。
 午前11時16分、ヨット担当の比企さんとがっちり握手を交わし、寛平さんは感動と苦闘の思い出が詰まったロングビーチアラミトスハーバーをあとに、一路遥か4800キロ彼方のNYに向け、北米横断の一歩をゆっくりと踏み出した。

 長いヨットの航海で衰えた脚の筋力がどれくらい落ちているのか?を確かめるように一歩ずつ一歩ずつゆっくりと。昨夜から寛平さんには陸酔いが出ていたようで、ふらつく症状が少しあるらしいが減った体重を取り戻すかのように旺盛な食欲をみせ、奥さんも驚くほどだ。ゆっくり、だがしっかりした足取りで走るかんぺいさん。カリフォルニアの抜けるような青い空と湿気の少ない軽い風、緑の木々に「最高やなぁ〜!」を連発。街路樹の続くロングビーチ市街を抜けてゆく。

 アメリカの道路事情だが、車社会といわれるだけあって、実に交通量が多い。フリーウェイは片側5車線がびっしり車で埋め尽くされている。「スッゴいなぁ〜さすがアメリカやでぇ」と寛平さんの率直なコメント。このあたりを往き来する車をも圧倒的に日本車が目立つ。特に省エネ意識が浸透しているのかハイブリッド車プリウスが実に多い。大体、歩道をあるく人の姿が極端に少ない。買い物もモールに集約されているから、モールまでは車移動、あとは買い出しするのに歩くくらいでほとんどが車を使った生活らしい。これでは運動不足になってしまうのも頷ける。

 快晴のカリフォルニアだが、紫外線はかなり強そうだ。走るのにはきつくないが、日焼けはしそうである。寛平さんは1キロを7〜7分半くらいのペースの走り。気持ち良く走っている。比企さんからのアドバイスは「”まだ走れそう”というくらいの距離で抑えること。」「三日間は歩きを主体に進むこと。」だったが寛平さんはあくまでマイペース。私は寛平さんの気の向くまま走ってもらい、やばい、と思ったときに、自分の意見を言うつもりだ。もともと自分の体験値と勘で走る寛平さん、よほどのことでは他人の意見は聞かないからだ。その分、自分の走りを身体の芯まで把握も熟知もしているので、求められたときにタイムリーな意見を云うようにしている。それが正解のはずだから。

 最後の5キロは応援にきているアースのスタッフと一緒に歩いてアース北米を楽しんだ。今日はロングビーチからサイプレスcypressまでの24.4キロだった。体重は57.5キロ、血圧は91〜61。
 今日はrunning中のエイド用品買い出しと散髪、マッサージに行く。

 まずは明日からのランニングに備えて食料品の買い出し。ロスはトヨタをはじめ多くの日本企業が進出しているので日本人や日系人相手のスーパーがいくつかある。その代表格のMARUKAIに光代夫人と、今回応援で見地にいっている我が社の専務、そしてサポーターと通訳で出かけた。内陸部に入り込むと日本食材は手に入れにくくなるので出汁系、調味料、麺類、嗜品類などと、洗濯用品やコンテナなども同時に買い込んだ。サポートカーも積める容量が限られているので嵩張らずしかも、ここでしか手に入らないものを購入した。

 実はサポーターにとしてはここら辺りがたいへんで、かつ、準備のしどころでもあるのだ。光代夫人に寛平さんの好みやクセ、性格なども聞きながらひとつひとつ買い揃えてゆかなければならない。夫人のアドバイスは重要なのである。上陸後の寛平さんは体重が減った分、異常な食欲を示している。身体が要求しているんだろう、と奥さんとも話ながらの調達になる。

 買い出しが終わり、頭をさっぱりしたい、ということで、ホテル近所のバーバーで散髪。言葉が通じない寛平さん、身振り手振りで刈ってもらったが、床屋から出てきた寛平さんは多分、10才は若返って見えるほどのスポーツカット。思わず爆笑(このあたりはアースマラソン公式ブログで)。明日は午前11時頃、着岸したヨットハーバー、アトミラスハーバーからいよいよ北米横断の第一歩を踏み出す。

メディカルチェック

2009年3月11日
KANPEI EARTH Marathon-090310食事 アメリカ上陸後一夜明け、寛平さんの気持ちはすでにNYに向けたrunningに気持ちが切り替わりはじめてきているようだ。交わす会話の端々に走り始めてからの食事のことなどを気にした様子が表れてきているからだ。

 今日はメディカルチェック。ロングビーチから車で30分のところにあるFountain Valley 病院で問診、採血、検便、胸部レントゲンなどの検査を受ける。結果、体重が減った以外特段の異常は見つからなかった。
 この航海、睡眠中以外は絶えずどこかて身体を支え続けていたため、上半身がすっかり逞しくなったことと、毎日、欠かさずにエアバイクの足漕ぎをやっていたため、腹筋が異常に?ついたことが身体面での変化だったらしい。Drからは触診で内臓が探れないくらいの腹筋になっていた、ということである。

 さて、陸路のsupportチームは着々とコース確認を進めている。この日はSTARTから六日目、距離にして130〜170kmあたりまでの下見が完了したらしい。明日は、support食材を寛平さん、光代夫人と一緒に買い出しにゆく予定だ。そろそろ臨戦体制に入ってゆく。

地上の感触

2009年3月10日
KANPEI EARTH Marathon-090310到着  70日間におよぶ太平洋横断航海を終えたエオラス号は、寛平夫人光代さん、比企夫人はじめ多くの報道陣やアースマラソンスタッフが今や遅しと待ち構える中、アラミトスマリーナにゆっくりと入港してきた。エオラス船上で大きく両手を振る寛平さん、およそ70日ぶりに味わう地上の感触と懐かしい顔。対面での感激のおおきさが航海と横断の大変さを物語っている。髭も頭の髪の毛も伸び放題だが、元気いっぱい。

KANPEI EARTH Marathon-090310記者会見KANPEI EARTH Marathon-090310プレゼント
 気持ちがそうさせるのか寛平さんの記念すべきアメリカ第一歩はエオラス号からのジャンプだった。緊張、不安、恐怖、眠気、淋しさから解き放たれた二人を待っていたものは一体どんな感慨だったのだろう?

 この夜は待望の焼き肉でしたたか酔った二人。航海の話は夜が更けるまで交わされた。太平洋横断は12710km、70日間。

ニューヨークへの道

2009年3月 8日
 横断ルートの下見を始めた。

 今回は寛平さんが東京オリンピック招致大使という肩書きを背負っているため、オバマ大統領のお膝元シカゴ〜ニューヨークを目指すことになっている。アメリカは車社会だから幹線道路も広く、車線数も多い。日本の国道に相当する道路がフリーウェイで片側5車線の自動車専用道路。従って、今回の横断にはこのフリーウェイに沿った側道をベースのcourseにすることにした。はじめは徒歩道路でcourseを作ろうとしたが、歩道の無い狭いところや起伏が多い、ということを考えて、フリーウェイの側道を中心にすることにした。この道ならば歩道も大半整備されているし、店や宿泊施設の確保も比較的しやすいからだ。

 勿論、その中でも最短距離に心掛けたことはいうまでもなかった。アメリカは右側通行だから交差点での右左折ではたえず車の来ることに注意を払わないと事故にあうおそれがあるから要注意だ。日本とは感覚を変えて走りとsupportをしてゆく必要がある。
 西海岸の明るい日差しが眩しい。太平洋8000キロの横断を終える寛平さん出迎えのために来ている。
 処女航海はまさに冒険そのものだったはず。心身共に疲弊して上がってくるか?渡り切った達成感一杯で上がってくるか?おそらくその両方に充たされてくるんだろう。奥さんやスタッフとの再会を分かち合ったら、今度は陸路をNYまでのrunningが待っている。

 陸路supportは私の担当。まずは体力の回復から始めなければならないだろうが、4800キロの長旅をじっくり、ゆっくり進めてゆこうと思う。

自然

2009年3月 4日
 この時期になると「三寒四温」とか「春遠からじ」という言葉をぼんやりと実感するような気候がかならずやってくる。季節変わりの時期だから大気の状態も目まぐるしく変わるのだろう。ときどき暖かい日があったり、強い風が吹いたり、思い出したように寒い日がきたりしながら季節は確実に春を目指している。

 近年、人類のエゴから地球が温暖化し、地球まわりの自然環境まで狂わせてしまっているが、地球という惑星がもつ本来の姿や本質は変わっていないはずだから、日本にはまだ四季が訪れる。日の出と共に起きだし、活動して、日没と共に家路につく。一日の労働を入浴と食事、そして家族との会話で心と身体を癒す・・・そんな自然体な生活こそが人間本来の素朴な生き方なんだろう。

 自然も人の心も蝕まれ、情も道義も忘れ去られてようとしている今の社会は味気がなく、無機的な規制とルールだけが支配をはじめているイヤな社会になってきている。しかし、そんな現実を見つめながらもせめて自分と身の回りだけは人間臭さが溢れた環境にしてゆきたいものである。

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