2009年4月アーカイブ

 今日は休日。
 寛平さんは夕べ、気持ちよくビールをしたたか飲んだので、今日は昼になっても部屋から出てきません(笑)

 まあ、ゆっくり休んだ方がいい。スタッフの池田君とダグラスはルートの下見に半日、ブーやんはVTR編集、私はサポートバンの荷物整理と日本への返送作業と買出し、ムギはその手伝い。

 夕方、炭水化物が足りない、ということで私がちらし寿司をつくり、食事会をすることになった。ウオルマートに出かけ、食材を探したが、さすがにシイタケやタケノコは見当たらず、結局、LAで買ったちらし寿司の素をベースにいんげんを茹で緑を入れ、錦糸卵ともみ海苔、蟹と海老を入れたちらし寿司になった。あとはほうれん草のおひたし、卵入り味噌汁、野菜とツナのサラダ、サバの缶詰、じゃこの佃煮。

 まあ、みんなでワイワイ言いながらご飯を食べることが楽しみなんだから、これはこれで良し!みんなで全米の地図を広げ、間もなく入るカンザス州を見ながら 「エ〜ッ、もう半分やんかぁ!!半分やでぇ!」なんて驚きとも気合いともとれる声で盛り上がった!!。私が「明日は6時から食事、6時30分出発でお願いしまーす」というと全員一様に現実に引き戻され、「お疲れ様でしたぁ・・・」とお開き。
 朝、疲れ切った表情で寛平さんが私の部屋に来た。「どうしたんですか?眠れましたか?」「全然眠れへんかったわ。うるそうて、うるそうて・・」昨夜は夜10時過ぎからおそらく地元の若者たちだろうけど酔っぱらった状態でモーテルのあちこちで騒いでいて、私も思わず部屋のドアを開けたくらいだった(開けて注意はしなかったけど、怖いから)。というわけで、今朝は部屋で切餅を焼いて、いそべ巻きにしたものを準備、4つほど食べてもらった。それと牛乳にデニッシュを1個。腹もちが良ければいいんだけど・・・

KANPEI EARTH Marathon-090428-1  スタートはLa Juntaから24マイル(38.4キロ)戻った草原の中。空一面を重い雲が覆い、今にも降り出しそうな曇り空。天気予報だと降水確率は40%だ。風も強く冷たい。これで降ってきたら今日はLa Juntaの街まで戻れればよし、としよう。「風強いし、自分のペースでゆくから自転車乗らんといて」と言い置いて寛平さんはスタートした。寝ていないし、ゆっくりした食事もとれなかったし、疲れているし、で、モチベーションも上がらないんだろう。こんな時は好きなように走ってもらうのが一番いい。体を動かしてゆくうちに本当の体調もあらわれてくるし、調子が戻ってくればテンションも上がってくるものである。サポーターは3マイル間隔で寛平さんを待つことにした。スタートして3マイル地点、寛平さんの表情が明らかに違う。笑っている。「どうですか?」「まあ、ぼちぼちや・・。お陽さんが出てきてるやろ?」と指さす方角をみると、なるほど厚かった雲が白く太陽の分だけ明るくなってきているし、一面を覆っていた雲が北の方へ動き始めている。気温もスタート時よりは明らかに上がってきている。

 さらに6マイル。「もう10kmほどやな」といってチョコレートのパンを紅茶と一緒に食べる。空はこの1時間で青空に変わってしまった。R160両側に広がる牧草地の緑が本当に美しい!牛やヤギがのんびり草を食んでいる。昨日まで群れをなして走っていた鹿たちの姿がさすがに今日は見えない。La Juntaの町の入り口に墓地がある。予定のルートだとこの墓地を左に折れてLa Juntaの町中に入ってゆくのだが、寛平さんなぜか手前の三叉路で右の道に走ってゆく。聞くと、「これがショートカットの道や思うねん。先に行っといて。中華(この日の昼食場所)で合流や」これも寛平さん流の気分転換の仕方。合流場所で待つことしばし。とんでもない方向から寛平さんが現れた。「どや、距離は?」予定コースより180m短かった。「やったあ〜!短かったぞ!でもたった180mかいな・・(がっくり)」途中、線路を跨いでショートカットしたらしいのだが結果は180m(笑)。でもこんなことしたり、やったりしながら走ることを楽しんでいる寛平さんは実に楽しそうだ。

 外国にゆくと食事の工夫が一番大変だ。短期間なら珍しさもあってなんとか地元の食事で済ませることができるが、数か月に及ぶ場合はそうはいかない。勿論、地元の食事で済ませることが多いが、時に、タイやベトナム、そして中華などアジア系のレストランで食べることも多い。これらの国の食事とアメリカンフード、それに手作りの和食(ご飯、餅、お粥、麺類など)を織り交ぜて、栄養・嗜好の変化・エネルギーを加味しながら食事をとってゆく。本来なら栄養管理をして体力を維持することも考えなければならないのだろうが、なにせ帯同スタッフがすべてを賄わなければならないから、その意味ではとっても勉強になるし、これもまたすっごく楽しい!!

 中華で「ホットワンタンヌードル」と餃子を食べた寛平さん、「ほな、あと10kmちょっと行くわ・・今日はそれでいいやん、なあ?坂もっさん?」「大丈夫ですよ!」(そこまで行けば50kmになる)。疲れと睡眠不足で心配していた寛平さんだったが、「神さんがついてるパワー」で降水確率も変えてしまい、強風も追い風に変えて、ここから13kmを走りきってしまったのだ。La Juntaからおよそ10マイル地点で本日はフィニッシュ。「明日は休みだあ!」

 午後からの道すがら、寛平さんと例によってあれこれ話しながら伴走した。その折「寛平さんはいつ頃から今のように強くなっていったの?」という素朴な質問 をぶつけてみた。寛平さん曰く、「やっぱり、2006年から2007年にかけてやった練習やね」という答えが返ってきた。つまり、比企さんと地球一周を思い立ってからいろんな超長距離経験者やレース経験者から話を聞き、どうすれば強靭な体力を身につけられるか?ということにぶつかり、最低条件として毎日50kmを走れる基礎走力を身につけなければ出来ないとわかり、その練習に取り組んでからだ、という。

 はじめ、50kmを5日間連続をやったそうだ。このとき、5日目には顔がむくみ、吐き気がしてどうしようもなかったそうである。これはダメか?と思ったそうだ。しかし、そこでやめたら地球一周なんて絵空事になってしまうから、その後も50km×10日、50km×14日を正月の休みを使ったりしながら、時に仕事の合間を縫って実践したとのこと。特に、「ゲゲゲの鬼太郎」の映画撮影のときは、撮影所に缶詰状態になるため、多摩川の撮影所まで自宅から20kmあまり走り、帰宅してから深夜に残りの距離を走り、50kmをこなす、という我々でも計り知れない練習を積み重ねていたという。そして、10日や2週間続けられるようになると、「あれ?身体が何ともないやん・・」という状態に変化したそうである。つまり、体力と精神力、そして食べられる内臓が作られてきたことを自覚した時期だったのである。2007年正月に20日間連続50km走を敢行し、これをやり遂げ体力面の自信につないでいったとのことである。勿論、今の心技体にたち至るまではこれ以外のこともたくさんあるが、それはまた後日。

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 今日はWalsenburg郊外(といっても砂漠)からLa Juntaに向かう55km。

 ロッキーを越えたかと思ったら、今度は砂漠である。しかし、広いアメリカだからどんな地形、どんな環境であっても今の寛平さんだともうあまり動じないまで逞しくなっているからサポートする我々も「ともかくシカゴへ」を合言葉のように話しながら毎日その日を迎えている。

 「坂もっさん、午前中、力が入らへんねん・・」滅多に食事のことであれこれ云わない寛平さんから、珍しくリクエストがあった。つまり、スタート前はしっかり食べたい、ということだと解釈した。やはり、パン食中心だとエネルギー切れを起こしてしまうようだ。今朝は、4時に起きて炊飯器で米を炊き、握り飯を作った。海苔を巻いた握り飯を4個、味噌汁1杯、付き合わせはじゃこの佃煮、それに牛乳350ml。あったかい握り飯はよかったようで一安心。この効果が表れたのは20km過ぎ。伴走の私に「最初はなあ、なんや腹が落ちつかへんようやったんやけど、いつもやったら10km過ぎるとガス欠みたいなってしまうんやけど、今日はなんかしっかり走れんねん。これ、やっぱ飯やろか?」(内心、ガッツポーズ!)。考えてみればパンは炭水化物といっても米とは違う。まあ、毎日、というわけにはゆかないだろうが、距離の長い日などは数日おきに米かモチなどを準備した方がいい、と改めて実感した。

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 Walsenburgの町を出ると、つぎの町La Juntaまではおよそ80マイル(128km)の間は全く何もない放牧地と砂漠になる。繰り返し繰り返し続くアップダウンと、この間、全く人家も何もない単調な道になるR160。随所に「これぞアメリカ」といった広大、雄大な大地が広がっている。国道には町からの距離標識(マイル表示)があるから、根気よく走ってこのマイルが増えることだけを楽しみに走る。午後1時、非常に安定した走りで40kmに到達した。今日ははじめから距離の貯金を作るつもりでいたらしい。

 「あと20kmやな・・」いたって元気だ。池田君が作ってくれたうどんを掻き込み、休憩も取らずに出発。標高がまだ1800mほどあるこのあたりは、砂漠というより「サバンナ」を連想させる風景だ。よく観察していると鹿の群れが何組も走っていたり、野鳥もいろいろいる。ミーヤキャットのような土中を住処にしている動物や、スカンク、アライグマ、ハリネズミなどたくさんの野生生物が生息している。そんなところに馬や牛などの家畜が一緒にいるからこれもおもしろい。コロラドスプリングスから応援にきた8人の親子や、家族づれなどの日本人のほかに新聞を見たらしいアメリカ人の夫婦が二組、応援に来てくれた。

 スタートしてから4時間ほどはどんよりした曇り空で、気温が一向に上がらず、本当に寒い中でのランニングになった。そして天候が回復してきたのは昼過ぎからだったが、今度は向かい風が強くなり、力がいるランニングを後半は強いられることになったが、鉄人寛平は16:15までかけて60.5kmを走破、予定の55kmに5kmの貯金を作ってゴールした。そして、夕食は、中華を思いっきり堪能してもらった。
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 午前7:21、Spanish PeakのCucharaとCordovaを右手に見ながら今日のstartを切る寛平さん。山々から吹き下ろす風が朝からきつく冷たい。

 今日はWalsenburgというロッキー山脈南端が途切れる町を通り抜け、北東に向かう36km。今朝は安定したピッチを刻んでいる。緩やかだが長い上り下りが続くR160。日曜のせいか行き交う車も少なく、車の通過風を気にすることもない。アメリカは大型車両というと、コンボイと呼ばれる牽引車で引かれる車が多く、車の長さも高さも日本の大型車の軽く1.5倍くらいの大きさだから通過するときにおきる風圧が物凄い。うっかりすると身体ごと、自転車ごと吹き飛ばされかねない。バイクロードのゾーンは大体2mくらいはあるが、それでも車両レーンから離れた左側を走るように心掛けている。

 寛平さんのペースは7〜7.5マイル/hと快調だ。Walsenburgの町は古そうで、町並みも1960年代くらいな雰囲気。骨董品屋さんが目につく。それこそ西部劇に出てくるような馬車の車輪や蹄鉄、鞍、ランプ、つるはしのようなものから鹿の角や獣の毛皮まで、「これって売り物?」といった感じのものが軒先いっぱいに並べたてられているから面白い。レストランもカフェもやっぱり30年くらい昔のたたずまい。町、と言ってもこれらの集落は1kmも続かず、あっというまに町はずれにきてしまう。片田舎の町はこんなもんらしい。

 10:00、町を外れたあたりでオレンジ色の蛍光ベストを着た高校生や小学生がR160脇でゴミ拾いをしていた。引率の先生が「どこから来たの?」と声をかけてきた。アースマラソンを手身近に話すと、子供たちを集めて興味深そうに寛平さんを囲んだ。寛平さん、早速「あ〜め〜ま〜」を伝授。子供達も一緒に「A~me~ma~!」。たぶん、全然わかってないだろう。こんなことを随所でやりながら気分転換をして走っている。

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 町を抜けると一面の平原。完全な砂漠ではないので牧草もあるから牛や馬たちがのんびり草を食んでいる。いつものことだが、寛平さんの足音を聞きつけて馬があちこちから集まってくる。一様に並んで不思議そうな表情で見送ってくれる。

 寛平さんの走りの技術はどんどん進化してきているようだ。路面に応じた走り方(ひざの使い方、足裏の使い方、路面の応用など)がうまいから脚への負担も少なく、したがって故障も出てこない。スピードは速くないが一定のスピードが崩れない。だから計算ができる。このあたりはウルトラを目指すランナーは、是非、見習ってほしいところだ。
【卓越したランナーの条件】
 ●精神力、つまりあきらめないこと!
 ●回復力、つまり継続する力!
 ●体幹力、つまり故障しない身体をもつこと
 ●そして、自分と、状況を見極める「勘」
 ジャーニーランや超長距離走にはこれらの要素が不可欠。12:32。32.8km地点。「ギリギリやなあ・・」と言って走り出す。目標の13時ゴールまであと28分。

 大草原の真っただ中で本日のゴール、12:56だった。

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 Fort Garland〜Walsenburgまでの55km。
 町の名前を云っても大都市の名前しか知らない読者が多いと思う。ロッキー山脈南端R160でコロラドからカンザス州に抜けるルート沿いの本当に小さな町。周囲には4000m級の山々が文字通り点在している。この辺りの人たちは標高1800〜2600mくらいのところに住んでいる。もちろん、先住民のインディアンも多い。標高の高い山が点在しているから風も吹きやすく、しかも強風だ。山々のすそ野あたりは乾燥した砂漠になっているから、風土としては一口でいうときびしい自然環境の中、といえるだろう。しかし、その自然と共生しあい、しかも共生の中から生きてゆくための知恵と工夫を生み出し、自然を重んじて自然からの恵みを恩恵として生きる糧にしている、とそんな印象を強く感じながら、アースマラソンを寛平さんと過ごしている。走り手の寛平さんも走る自分を孤立させず、スタッフがアシストすることすべてを共有し、しんどいことも楽しいことも分かち合いながら進んでゆく、という姿勢を日々の中で随所に感じることができる。つまり、一家状態、といった方がわかりやすいだろう。

 スタートして12kmあたりまでいつもの調子が出なかった寛平さんは、これから上ろうとしている峠に差し掛かった時に、ルートを右にそれる山道に入ってしまった。「オールドパス」といわれる旧道だ。道は土道でまさに針葉樹林におおわれた山である。あとで聞いた話だが、身体の調子がいまいちだったので、気分転換と自然道の方が走りやすかったことが理由だったとのこと。しかし、神さんはここで寛平さんに意外な贈り物を与えてくれたのである。それは1880年代には鉄道の駅もあり、一つの集落を形成していた町にぶつかったのだ。そしてこの町(過疎で、今は置き去りにされた町)にたった一人で住んでいるという方と遭遇し、言葉が通じないまでも自分の素性と日本人であることを伝え、思いがけない歓迎を受け、心の癒しを受け取ることになったのだ。日本を離れすでに4か月以上が経過、寂しい心情があったときに言葉は通じなくても「心でする会話」で、強いパワーをもらって再びR160でスタッフと合流したのである。ウルトラマラソンは体力だけでするものでもなく、技術だけでするものでもない。勿論、それらの要素は必要なものではあるが、もっと大きくて大切なものは「人」として生きるスタンス、つまり心がけだ。感謝すること、生かされている自分を知ること、自然には逆らわないこと、何よりも真摯であること、である。いつ、どこで、どのようなことに出くわすかわからない中で、こんな心持でいることができたら、必ず救う神も人も状況も生まれる可能性があるんだ、ということを教えられた本日だった。

 La Veta Peakの尖った峰を左手見に見ながら山を左に巻いてR160をWalsenburgに向かうと右手にインディアン語で「乳の山」と呼ばれるCucharasとCordova双丘が雪をかぶって聳えて見える。裾野もくっきり尾を引くように美しい。近隣の山(といっても山と山の間隔はざっと50〜60kmくらいはあるが)と裾野が重なり合うように連なるところをR160が通り抜けているのである。Walsenburg手前10マイルくらいの双丘が見える地点で今日を終えた。走行距離50km。ここまで来ると朝の冷え込みがはっきりと減ってきていることがわかる。
 今日はAlamosaからFort Garlandまでの59km。

 昨日、スポンサーのデサントから寛平さんとスタッフに新しいウェアが届いた!最近は国際宅配便が発達しているので、24時間で東京からコロラドの片田舎まで宅配物が届いてしまうから驚きである。ブーやん、池田君、ダグは白地のウォーマー、ムギは紺色のTシャツを着ている。寛平さんも上から下まですべて新しいウェアに着替えて気分一新。「さあ、いくでぇ!」と軽やかな足取りで走り出した。

 Wolf Creekを越えたこのあたりは、再び砂漠地域。ただ、周辺はまだロッキー山脈の山々が点在しているので、カリフォルニアで通ってき砂漠とは様相が違う。牧草になりそうな草もところどころに生えているし、灌木ではあるが木々もいくらか緑がある。R160号線は一直線の道。大型のコンボイが縦横に行き交ってゆく。寛平さんも私も友好の気持ちをこめて車が通るたびに大きく手を挙げる。すると、ほとんどのドライバーから呼応する手挙げが返ってくる。昨日、地元のタブロイド紙の取材を受け、寛平さんの地球一周のことが紹介されたからだろうか車の方からクラクションで応援を送ってくれる人も、今日は多い。寛平さんが走るR160の左手に頂に雪を被った山、Blanca Peak(標高4800m)が威容を誇るように聳えている。

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 バイクレーンを走る寛平さんの足取りは軽い。「なあ坂本さん、ナバホのパンなあ、あれ、かみはんにも言うといたから一緒にやってやあ。絶対売れるでぇ」DurangoでNavajo INDIANのデビの家で、ばあちゃんが焼いてくれたパンのことである。小麦粉と塩とベーキングパウダーだけで練ったものを手で延ばしフライパンで焼くだけの素朴なインディアンのパン、確かに、蜂蜜をつけたり、野菜やチキンをはさんだり、むろん、そのまでもかなりおいしいパンなので、これを日本のみんなにで食べてもらおう、という話。と喋ったかと思うと、また淡々とピッチを刻み続ける。

 今日の路面は砂がないのでザッザッザッザ、というよりもサッサッサ、という感じだ。NBシューズN966に履き替えて今日で3日目なのだが、すでにミッドソールはすり減って、芯のプラスチックベースが露出してしまっている。衝撃吸収力はすでにないが、寛平さんは膝の上がらない徹底したすり足双方のため、4日目までの走行は可能なのである。

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 2時間走ってもまだ曲りらしきものは見えてこない。Blanca PeakのふもとにはSando duneと呼ばれるいわゆる砂丘がある。全米でもここだけにしかない砂丘だ。砂漠がたくさんあるんだから砂丘があっても不思議ではないのだが、アメリカの砂漠は乾燥した荒地、が殆どらしい。午前11時、Blancaに入ってすぐのところにカフェがあったので少し早目の昼食。目玉焼き・ハッシュドポテト、ハムステーキとトースト、それにアイスティーといった内容。いつもならお粥で昼食をとるが、昼時間に町がぶつかったときなどは気分を変えてレストランやファストフードを食べることもある。今回のコースはアメリカの片田舎コース。レストランやカフェとは名ばかりで、実に実に簡素な店ばかりなのである。もっとも、これが実に味わいがあってまさに「アメリカン」を堪能できる。

 ここからBlanca Peakから次のFort Garlandまでは約7km。昼食で一息ついてさらに先を目指す。R160はBlanca Peakを左に巻き込むように曲がっている。ここらあたりから道は次第に上り坂になる。午後からは強い送り風となり、寛平さんにとってはありがたい風。Colorado Springsから来た、という二人づれの女性から激励をもらった。「アメマ〜」と大書した紙を持ち、二人とも寛平さんを見つけたことで感激して涙がいっぱい。ありがたい応援だ。

 午後3時45分、無事に59kmを走り終え「みんな、ありがとう!」。寛平さんいつもの感謝である。明日はウルフクリークに匹敵する山越えが待っている。
 アースマラソン北米横断ルートについては、もともと最短ルートでロングビーチからNYを目指すことになっていた。参考にしたのは「トランスアメリカンフットレース」のルートである。しかし、寛平さんが2016年東京オリンピック招致大使に任命されたことで、ロングビーチ〜シカゴ〜NYというようにルートの一部が見直された。

 北米の東西横断の代表的ルートはR66号線を中心にしたものが多い。しかし、最短距離でLA〜シカゴ間を検索すると、一部R66を使うもののロッキーの山越えを含むカンザス州をR66の北側で横断するルートが割り出されてしまったのである。事前にルートを下見するだけの余裕がなく、机上検討ルートを本番で修正しながら走行ルートづくりをする、という形で進行することになったのが実情だ。

 ロッキー山脈と一口にいってもその山塊の巨大さ(日本列島より大きい)から考えると、より走行しやすい山越えでしかも最短距離で、ということから今回のKingman~Flagstaff~Kayenta~Durango~Alamosa~Walsenburg~La junta~GardenCity~Salina~Topekaというルートでシカゴに向かうことになったのである。

 カリフォルニアの海岸から砂漠地帯を抜けてロッキーへ、そしてロッキーを越えてから再び砂漠を通り、カンザス州の巨大平野地帯を通ってシカゴに向かう。最短ではあるが、乾燥高温の砂漠や、高山・寒冷地帯、そして短期間で高温・乾燥・低温・蒸し暑さ、そして竜巻・落雷多発地域とある意味非常に過酷な気象環境の中を、1日55kmを走って寛平さんがNYを目指している、というアウトラインを読者の皆さんには伝えておきたかった。
 半休明けの今日はAlamosaまでの56km。

 6:50、気温3℃の中を「ほなぼちぼちゆくわ」いつもの飄々とした感じで走り出す。早朝のR160号線は車が少なく、サッサッサッサッという寛平さんの足音だけが響く。2泊以上連泊するモーテルからの出発はサポートスタッフにとっては持ち出し荷物が少なくて有難い!撮影のプリウス号とサポートバンは1〜2マイル間隔で交互に寛平さんを見送り・給水・撮影するシステムで動いている。

 寛平さんは朝、モーテルのコンチネンタルか、われわれが準備したサンドイッチや牛乳を食べてからスタートする。勿論、スタート前には体重・血圧・心拍数を測り、その朝の体調チェックは毎朝だ。スタート2時間後の10マイル(16km)地点、身体がほぐれて動きやすくなる頃に朝食を食べる。このタイミングでの食事はお粥が多いが、今朝は本人のリクエストでチキンラーメンにした。池田君が手早く湯をわかし、柔らかめにしたチキンラーメンを準備する。

 R160の両側は広大な牧場が続いていて、馬や牛がのどかに草を食んでいる。牧畜もこのくらい広大で自由に動き回ることができればのびやかに育つだろう。このあたりに来るとSangre De Cristo(4764m)やBlanca Peak(4781m)を中心としたロッキーの山並みが左手から右手にかけてほぼ180°のパノラマが眼前に展開してくる。
 寛平「なんじゃこれは!え〜!」
 坂本「これもロッキーなんですよ」
 寛平「オレ、これ行くん??シャレならんでぇ」
 坂本「真ん中の一番低いとこを通って越えるような道になってます(笑)」 それにしても言葉を失うくらいスッキリくっきりした風景で、心が洗われるような気がする。

 今日も寛平さんを自転車で伴走する。ブリヂストンから頂いた電動自転車だから、私はちっとも辛くなく、痛いのはお尻だけ。高知県宿毛市で生まれた寛平さんの生い立ちや中学や高校生のころの転機になった出来事、吉本に入ったいきさつ、東京に出てからのことなど、20年近くお付き合いさせていただいている私がはじめて聞く寛平さんの人生の転換点となった話を雄弁に語ってくれた。

 その話の中で共感したことは人生には転換点となる出来事がいくつかあって、それらの紡がれ方と転換点をもたらしてくれた人への感謝の気持ちを持つ大切さ、というところは本当にその通りだなぁ、と腑に落ちてしまったものである。お互いに年を重ね、残りの時間をどう過ごすか?アースマラソンという稀有な計画の最中でもこんな話を交わすことができる状況に、二人で「感謝」したものである。

 今クール(5勤1休)から1日半休を入れてジャーニーランニングにアクセントをつけ、スタッフへの憩いを設けよう、という寛平さんのグッドアイデアもこれから楽しみになってくる。
 今日は半休日に決めた。
 今まで寛平さんの北米横断では5勤1休の5日走って1日休み、というインターバルで来ていた。これは毎日の走行距離と疲労回復を考えての設定だったのだが、最少人員でサポートしているとかなりの負担がスタッフにもかかる。そして、寛平さん自身の疲労は十分にとれているのか?という疑問があった。そこで、5勤のうちコースの状況や北米横断全体の日程などを考え合わせて、どこかで半休を入れようという寛平さんからの提案。これにはスタッフも大喜びで、一同、寛平さんに「感謝!」。昨日は歴史的なロッキー山脈のウルフクリーク越えを果たしたので、今日は午前中で25kmを走り、午後は半休。今後、半休の取り方は試行錯誤してゆこう、ということになった。

 というわけで、私は昼からこの先のコースロケハン(下見)。向こう7日間分だったので、結局宿に帰ったのは午後10時を回っていたのだが、毎日の走行距離の確認・食事場所の目安・宿泊場所の確保・コースの特徴などを一通り確認してくることができた。このロケハンを元に決めることは結構あって、いやはや、難所のロッキーを越えてまずまずと思っていたのだが、この先にはまだ幾つものハードルが待っていることも判明し、しっかりふんどしの紐を締めなおさなければならないことを痛感した。


 さて、今週の週末には富士五湖で「チャレンジ富士五湖」という100kmウルトラマラソンの大会があります。この大会は今から19年前に寛平さんのスパルタスロン参加のための練習コースとして誕生した大会です。過去の大会は当然ディレクターとして皆さんのサポートをしていたのですが、今年はアースマラソンサポートのために会場に行くことができません。今はロッキー山脈の冠雪をみながら北米を横断中ですが、富士山の冠雪も負けず劣らずの美しさです。ご参加の皆さん、五湖の景観ともども100kmのランニングを是非、楽しんでください!!
KANPEI EARTH Marathon-090420-2 遂にロッキー越えの日がきた。

 昨夜は温泉リゾート地Pagosa Springs泊まりだったが、温泉にも入ることなく休んでしまった。今朝の気温は0℃。モーテルの駐車場でコロラド州の旗を掲揚柱にあげているおじさんがいた。この光景はここらでは当たり前のことなんだろう。かつての日本でも見慣れていた光景だが、最近はあまりみかけない。ちょっと残念な気がする。

 昨日はロッキー山脈の南端、ウルフクリークまであと15km地点がフィニッシュだったので、モーテルから移動して今日のスタート地へ向かう。峠道は車の行き交いで危険なので、自転車伴走は登り口まで、ということにした。針葉樹が岩山を覆い、その木々の間には荒々しい岩肌が露出、残雪が多く残った景色は美しい。空はあくまで澄み切った青、時折真っ白な飛行機雲が鮮やかなラインを引いてゆく・・・。早朝の静寂はなんとも言えず荘厳な気分にさせてくれる。

 今朝の寛平さんは、いつものウエアの上から防寒用のジャケット上下を着こみ、手袋と毛糸の帽子、といういでたちでスタートした。今日は、ウルフクリークの上り口まで15km、そこから8マイル(12.8km)を上り、8マイルを下ってから、さらに10kmほど走る合計50kmに及ぶロッキーの峠越えだ。走り始めて5km、来ていた防寒着が暑く、あっという間に汗びっしょり。「こんなんあかんわ、坂もっさんわしを殺すんかいな・・(笑)」といいつつ、上着を脱ぎ捨てる。ここから15km地点まで自転車で伴走することにした。

 走りながらいろんな話に花が咲いた。東京に出てくるまでの話や東京に出てきてからの話、そして寛平さんにとってエポックとなった比企さんとの出会いなど、ガンガン話が口をついて出てくる。その話の端々に寛平さんの人生観が感じられる。「人への優しさ、自分への厳しさ」といった寛平イズムだ。話すにつれてランニングのピッチがどんどん上がってくる。話しているのか走っているのかわからないほど話に熱が入り、気がついたら登り口の休憩ポイントについてしまった。池田君が作ってくれたお粥を食べながら「静かやなぁ・・」と一言、とそこに「コンコンコン・・・・」とキツツキが木をつつく音。一同、「やっぱりロッキーかぁ・・・・」と妙なことに感心。

 さて、ウルフクリークの上り坂。ここからは寛平さんの一人旅だ。時折大きなコンボイやRV車が通りすぎてゆく。淡々と、しかし着実に上ってゆく寛平さん。最大斜度7%というきつい上りが随所に出てくる8マイルに及ぶ上り坂。眼下に上ってきた道がうねうねと見えるが、眼中にない様子で上る。12:00標高が3010mに達する。しきりに呼吸を苦しがる。酸素がどんどん希薄になっているからだ。「脚に酸素がいかへん」「腕に電気が走るでぇ」。寛平さんは実に粘り強い。酸素が薄く走ることがつらくなってもちょっと走っては歩き、また少し走っては歩く、という繰り返しで頂上を目指す。

 なんだか胸がいっぱいになってくる。去年の12月17日に大阪を出発後、比企さんと過ごしたたった二人の太平洋横断航海。息つく間もなくロングビーチを出発した北米横断走。気が狂いそうなくらい単調で暑かったカリフォルニアの砂漠を抜けたら、今度は雪と低温の山岳にへばりついてるのだ。いろんなことを思い起こすとつい、言葉を失ってしまう。

 そして12:56、遂にウルフクリークの頂点に到達した!!標高は3307m。ニューバランスジャパンから差し入れられた寄せ書きを体に巻きつけて、ロッキー峠頂上で記念撮影。スタッフにも畏敬の表情と安堵の表情が思わず走る。 KANPEI EARTH Marathon-090420-1
 それからおよそ22kmもの長い下りを走って標高2600m地点で昼食をとる。アツアツにした中華丼のレトルトパックをご飯にかけて食べる。「ヒットやな、それもクリーンヒット」なんて言いながらスタッフと一緒に食す。しばしの休憩をはさんで「さ、今度は下りやな。ま、ぼちぼちゆきますわ」と言い残し、走りだす。

 R160の周囲には人間の侵入を拒むくらいの岩壁がそびえている。雪解け水が流れる川に沿って下る道だが、路肩が狭く走りにくそうだ。それでも予定の50km(リオグランデ)を走り、前半の目標としていた「ロッキー越え」を無事に終えることができた。今夜の泊まりはSouth Fork、ここに2泊する予定だ。
 今日の寛平さんは朝からテンションが上がらない。
 昨日は、一昨日の不足距離を補うべく、60.4kmを走り、走行距離を元に戻す頑張りを見せてくれた。ゴール後、インディアンジュエリーの店に行き、私と仲間のために品物チョイスをしてくれたり、ゆっくり夕食をとったりして休んだのだが、階上の客がドタバタと遅くまで騒いでいたので睡眠不足。そこへもってきてそろそろ人恋しくなってきていることや、食事のこと、身の回りのことなどもろもろが重なり、グッとテンションが下がっているらしい。走り始めてもなかなかペースが上がらない。7km過ぎから私が自転車伴走を始める。

 「今日はペースが上がらないんじゃないですか?」「そうなんや、アスファルトのとこしか走れへんから足が引っ掛かるねん。」確かに、アメリカに入ってからアスファルトの上に被さったように乗っている砂を巧みに利用した走りをずっとしてきている。これが両足とも砂のないアスファルトを走ると感覚的にも滑らずに引っかかるような踏切感があるのだ。当然、キックは強く使わざるを得ないから負担も大きくなる、というわけだ。超長距離走になると毎日毎日走っているから、こんな微妙なことが本人にとっては結構負担にもなるのかもしれない。

 伴走中はいろんな話をする。仕事のこと、家族のこと、アースの話、24時間テレビの話、多くのウルトラ愛好者の話などあれこれとりとめなく話す。そして、突っ込みが来る。風景を見ながら、建物を見ながら話す会話が、大きな和みの時間になっている。

 夕方、5時43分。今日も55kmを超える走りを見せてくれた。明日はいよいよロッキーの峠越えだ。
 一昨日、予定の距離を走れなかった寛平さん、今日は6時から走り始めた。今朝の寛平さんはかなり気合いが入っていて、「今日は60kmゆくでぇ」と、気温3℃の寒さの中をブーやんとムギを連れて走り出した。

 NYには7月上旬到着予定でロングビーチを出発、1日の走行アベレージを50kmとして日々のランニングを続けている。5勤1休という基本を崩さないようにして、休日を休養や、気分転換にあてたりしながらの旅。とはいえ、4ヶ月は長丁場。チームが円滑に進んでゆくためには時に羽目をはずしたり、ランニングとは全く関係のない話題で盛り上がったりしながらでないと気持ちも続かない。

 スタート2時間後、12kmほど走ったところでお粥とビーンズスープの朝食をとる。R160に入ったコースはハイウェイだが路肩が狭く走りにくい。私も久しぶりにここから自転車で伴走を始める。相変わらず道の起伏は激しく、長い上りと下りが繰り返し続いている。寛平さんはきっちりとしたペースでこの起伏を走りながら、道路外の砂道を走ったり、路側帯の広い所はアスファルトを走ったり、路面の状態や交通量を巧みに拾いながら、状況に合わせた走りを展開してゆく。遠くに真っ白な雪をいただいた、いかにも高そうな山々が見える。どれが目指すロッキーかはまだわからないが、真っ青な空とのコントラストが美しい!

 11:30、34km地点に到着。ペースは順調だ。R160の左右には馬や牛を放牧した牧場が軒を並べるように続いている。どの牧場からも、のんびりした雰囲気が伝わってくる。「寛平さん、明日は温泉に入れるよ」「ホンマかぁ!ええなぁ」と、かなり敏感な反応。それはそうだろう。もう長く温泉には入っていないし、やっぱり日本人には風呂だ。そんな話をしていると、牧場続きのところにあったハンバーガー屋さんが目につき、急遽、ここで昼食をとることに。いかにもアメリカというようなバラック建てで、元気のいいおばあちゃんがやってる店。昨日、ネイティブアメリカンの家でも頂いたNAVAJOブレッドの揚げパンと、タコスに入っているような具をかけたパンと紅茶、レモネードの昼食。店内には近くの農場で働いていそうなお客で結構賑わっている。寛平さんのアースマラソンの話を聞くと、一様に驚き→激励、といったパターンの表情になる。最後には「グッドラック」と言って励ましてくれる人たちばかり。アメリカで生活し、ネットで寛平さんを知り応援に駆けつけてくれる人や家族は、今日も二組訪れてくれた。ひと組はLAから1400kmを一泊しながら来てくれたカップル。この方々は都合4回も来てくれいるご夫婦だ(感謝!)。

 朝の言葉通り、本日のゴールは60.4kmで、Pagosa Springsまであと少しのところまで走ってのゴールだった。寛平さんの気持ちは一歩でも前へ前へ、と走っている。サポーターはその気持ちを盛り上げ、そして冷静に健康状態や疲労状態、気持の安定を図れるようにチームで寛平さんを支え続けてゆきたい。時に気持ちをすくい上げ、時に頑張りを引き出し、時に癒すことを考えながら、確実にNYに近づけるように!!
 LAからローカル便に乗り換えて1時間半、ニューメキシコ州のアルバカーキに着く。空港の表に出たら思いっきり快晴なのに風が冷たい!スントの腕時計で標高を調べてみたら1655mという表示、寒いはずだ。そこからレンタカーを借りてR550号線づたいに寛平さんを追いかけてみる。

 Flagstaffの手前で別れたあと、予定通りだとTuba CityからBlack Mesaを通り、Monument Valleyの脇を抜けてKayentaからFarmingtonあたりと聞いている。途中で雪がひどく起伏も激しい山越えになったので一部コースを変えているが、Durangoという町に向かっているはずだ。Durangoまであとわずかなところで、道路の左側を走っている寛平さんをドライバーのダグラスが発見!その先に見慣れたプリウス号が止まっていた。ムギがいる。私はLAまでのフライトで全然眠れなかったので、後部席で爆睡していた。「おう、お疲れさん!」「どうも・・・」などと一別以来の再会を交わしているところに寛平さんが合流、いきなり「なんや、目え腫らして、寝起きまるわかりやん」とキツイ一発!「あ、どうも・・夕べ寝てなかったんで・・」(しどろもどろ)の再会。

 LA空港より一段と冷えてきていて気温は9℃だが風が吹いてる分寒く、体感気温はもっと寒く感じた。遥か左前方にはバッチリ雪をかぶったロッキー山脈の山並みが遠望できる。真っ青な空にまばゆいくらい鮮やかな白が神々しく見える。果たしてあれこそが本物のロッキーなのか?誰にもわからないところが寛平アースマラソンらしくていい。

 このところずっとさみしくて、いろいろあったらしいが血色は良い。この日は40kmでやめて、明日の休日に10kmウォークで帳尻を合わすらしい。まあ、長丁場だから体調やペースを見ながら走行距離は随時アレンジしながらNYに向かえばいいだろう、と一同納得してこの日のゴールを迎えた。とりあえず、寛平さんやみんなの元気な顔を見て、まずはホッとしたところである。
 今日、アースの現場に二週間ぶりに戻ります。寛平さんとクルーのメンバー達はそろそろロッキー山塊の山越えあたりに近づいている頃だと思う。日本は三寒四温の真っ只中で日替わりで天候が変わっているが、ロッキー越えでは寒さとの闘いになるんだろう。今回はLAから国内線に乗り換え、New Mexico州アルバカーキから現場に行く。

 いくつかの山越えをしながらロッキー山脈に向かうのだが、途中雪が降って走れないところがあり、当初予定になかったNew Mexico州に入ることになったらしい。いずれにしても現地は寒く、サポートクルーも最少に近い形でやっているだろうから、どんな状況になっているか、楽しみだ。
 関東は桜が散って葉桜が目立ち始めてきた。いつもなら満開の時期に雨が降り、いっきに散ってしまうことが多い。こんなに長くきれいな桜を堪能できたのは久しい気がする。

 寛平さんのもとを離れて今日で9日。北米横断はカリフォルニアからアリゾナにかけての砂漠、ロッキー周辺の大きな山越え、カンザス州の広大な平地と暑さ、シカゴから都市部の治安対策、といった括りで全体を俯瞰している。16日に現地入りする予定だが、今はルート設定と通過する町や市の確認、通過予定日の割り出しを急いでいる。また、追加資材の洗い出しと奥さんからの預かり品などのパッキングも同時進行で進めている。奥さんからはおかゆに合う佃煮類、慎太郎君からはCDなどがくるようだ。

 サポートクルーの池田君もデビットも下見、宿手配、食事づくりからコース図づくり、荷物や機材の洗い物から翌日の準備まで、パンパンでやっているだろうから、一日も早く合流して、いち作業員として戦力に加わりたい。標高が上がり、雪が降ったり、低温で寒さがきついなど、環境もどんどん変わってゆくだろうから、その辺りも気になるところ。今度合流したら、サポーターと寛平さんがより一体になって進んでゆけるように、何を分担し、何を共有しながら進んでゆくか?この辺りを徹底討論、ではないがみんなの協働意識を話し合って、決めたいと考えている。
 アリゾナ〜コロラドに入る境界付近の町Tuba Cityを出ておよそ70kmくらい行ったところの風景。この辺りは大きな山塊が点在している。勿論、そのひとつがロッキーになるわけだが、いくつものプレートが重なったり、寄り合ったりしてできた太古の自然の造形。

KANPEI EARTH Marathon-090408
 久しぶりの更新です。

 一時帰国した4月4日。成田から湘南に戻る途中の車窓から見えたものは、満開のソメイヨシノでした。「ああ、春たけなわなんだなぁ・・」と、日本を感じた次第。まるまる1ヶ月日本を留守にしていたので浦島かな?と思っていたけど、蕾も固かった桜が爽やかに花開いていただけでした。

 さて、寛平さんは私が一時帰国したあともサポートクルーと淡々と走っているのだろう、と思いきや、入れ代わりで現地に入った日テレの大澤さんたちの来訪を受けて、弾けてしまったようだ。山岳地帯が近づき、雪が降ったこともあろうが、ガス抜きがエスカレートして、「痛飲の一夜」を過ごしてしまったらしい。好物のビールをしこたま飲んで、寝過ごし、二日酔いの1日になった、と現地からの報告だった。昨年の難波出発から鴨川の尋常ならざる見送り、地獄の67日間「奇跡の太平洋横断」を比企さんとやり遂げ、光代夫人との束の間の再会も「ゆっくり」はままならないまま、陸路北米横断に旅立ってしまったんだから、まあ、致し方なし、としなければなるまい。アースの旅はまだまだ先が長いから、これからも時々は「ガス抜き」の1日をお作りして差し上げなければ、張り倒されてしまうかもしれない(笑)。

 シカゴに向かうルートは次第次第にあのロッキーに近づいているわけで、標高は上り下りしながらも確実に上がってきているのだろう。今回の私の一時帰国は、今後のルートと進捗工程の再チェック、サポート体制の見直し、不足資器材の補充などをすることが目的(会社の仕事は?何とかなるんだろう・・)で、あちこち飛び回りながら日々を過ごしている。

 カリフォルニアからアリゾナにかけて続いたあの果てしもない砂漠と直線路を走り抜けてきたことが、現場を離れてわずか一週間しか経っていないのに、随分昔の出来事のような気もするし、つい昨日のような気もして、何とも不思議な感覚である。毎朝5時に起きて電気釜のスイッチを入れるところから1日が始まり、午前中は寛平さんとスタッフのお粥を中心とした食事づくり。風と砂ホコリと火おこしに悪戦苦闘し、出来上がった食事にホコリが入ったといっては怒り、の日々が懐かしいし、一刻もはやく現場に戻りたい気分。再渡米まであと5日、しかない。アメリカの地図を改めて眺めてみると、まだまだ先は遥か彼方でしかないのである。寛平さん、もうちょっと待っててください。
 今朝は5:45にモーテルを出てスタート地点に向かう。一時間半早くなっただけで気温が一気に1℃まで下がってる。標高も1600m以上あるから仕方がないが、WB上下に手袋だけでは寒さ、というより低温には耐えられないかも知れない。「すっごい寒さやな?手ぇが冷とうて、力も入らへん」確かにそのとおりだが、これから目指すロッキーはこの比じゃあないと思うから、ロッキー越えの方法をいろんな角度から見なおしてみたい。

 今朝、寛平さんからも別れ際に「さかもっさん、こんなに寒いとロッキーでは距離がいかへんかもしれへんから、帰ったらちょっと考えといてくれへん?」とのことだった。気温の下がり方、路面の状態、坂の具合、宿舎の位置、日の出の時間、日没の時間などをよく調べて工程をもう一度組み直そう。いずれにしても北米ルートは事前の現地調査ができないまま本番に突入しているからやることがいっぱいだ。しかし、これもやり方、楽しみ方だから、このあたりを寛平さんと一緒にあれこれ云いながら進んで行こうと思う。

 サポート隊の通訳兼コーディネーター兼リサーチャーのデビットはDrでもあるから、彼のネットワーク、知識・技術の存在は頼もしい。フィラデルフィアでトレーナーの資格をとり、プロスポーツ選手の身体のメンテナンスをやっていた池田くんも言葉はもとより能だから、安心。

 サポート現場ではあらゆることをオーバーリーチしあってやらないといけない。私はこれが仕事だから、などと収まっている人間は、人のサポートは難しいだろう。自分達の目的、目標は何か?をしっかり理解して不足は補い合い、自分の本来やるべきことをしっかりとこなし、協力・協調してゆかなければダメだ。チームプレーを長くやってゆくと、このあたりも如実に露呈してくるから、大いに勉強させてもらうことになる。この機会をくれた寛平さんには本当に感謝しかない。
Start:7:39、気温:9℃ 湿度:19% 体重:60.4kg 血圧:125〜62 心拍:61

 今日の寛平さん、朝から気合いが違う。スタート準備が整わなかった自転車のブーやんを置いてさっさと走りだしてしまった。無駄口も叩かずに、テンポ良く、むしろウルトラ走りでないくらいの走りだし方だ。

 スタートして8km地点で待っていると、55分くらいで寛平さんがやってきた。うっすらと汗をかいている。スタート時の気温が9℃だからかなりのペースで走ってきているはずだ。北米横断でも基本は朝早く出て、午前中に30〜35kmを走り、昼飯後、15km走ってあがる。ということを想定してきていたが、このところ午前中の走距離が27〜30kmと落ちてきていたことや、朝のスタートが7:20くらいに遅くなり始めていたことなどが引っ掛かっていたのかも知れない。ともかくもシャキッとした走りがしたかったのだろう。ちなみに今朝からは5足目のシューズに履き替えている。3〜4日に一足のペースだ。ランナーにとっては何よりまずシューズ。ミッドソール以上すり減ること自体、足や間接に悪い影響を与えてしまうから、ミッドを突き破る前くらいでの交換が望ましい。

 9:00。12km地点、寛平さんのハイペースの理由を聞いてみると、「午前中に35kmくらい行くでぇ、早よ上がりたいし・・洗濯せなあかんし。早よせな乾かんしな思て・・」という返事。なんだ心配して損した!(笑)

 今日は応援が二回あった。一組は昨夜12時に発って今朝着いたというご夫婦、もう1人はsedonaから駈け付けたという女性。いずれも差し入れをどっさりいただいた。そういえば昨夜、寛平さんがHackBerryの店屋さんに入ったときに買った帽子にR66のルートデザインがしてあって、これからゆくFlagstaffの位置が描かれていて、それを見た寛平さんが「なんや、まだ経ったこれだけ?」とかなり凹んだことを話していた。ということは、今の自分のいる位置を知って、おそらくは「こら、気合い入れてゆかなあかんなぁ・・」 ということを噛み締めての今朝の発言なのか?と納得したものだ。14:50、結局52.3kmを6時間ちょっとで走り切ってしまった。まだメチャクチャ陽が高い。到着地はオールドR66の雰囲気を色濃く残した町、selgman。寛平さんのさすがの走りを見せてもらった一日だった。

 さて、ロングビーチから20日間かけておよそ700kmを走破。一日の走行距離もアベレージで50kmをこなせるところまできている。一応、5勤1休のパターンも休養と気分転換する時間どりとしても無理がないことが確認できた。NYへのコースどりもカリフォルニア〜ネバダ〜アリゾナと来て、今後、シカゴを目指すときの道路事情の掌握方法や距離想定のたて方も慣れてきた。このルーティーンをうまく回してゆけば、しばらくは安定したサポートを進めてゆくことができそうな気がしてきた。寛平さん以外のサポートチームは必ずしも十分な陣容とは云えないが、さりとて大サポートチームを組むばかりが良とも言い難い。コンパクトなチームで機能化してゆく方がいろいろな工夫も生まれ、むしろ濃厚なサポートができる、といえる。寛平さんのアースマラソン北米編はまだ始まったばかり。私はここで一旦帰国し、二週間後のロッキー越えの頃に再合流する。帯同日誌は二週間休憩するが、今月後半からの再開編を期待してください。

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