アースマラソンサポート記 北米横断41日目
朝、疲れ切った表情で寛平さんが私の部屋に来た。「どうしたんですか?眠れましたか?」「全然眠れへんかったわ。うるそうて、うるそうて・・」昨夜は夜10時過ぎからおそらく地元の若者たちだろうけど酔っぱらった状態でモーテルのあちこちで騒いでいて、私も思わず部屋のドアを開けたくらいだった(開けて注意はしなかったけど、怖いから)。というわけで、今朝は部屋で切餅を焼いて、いそべ巻きにしたものを準備、4つほど食べてもらった。それと牛乳にデニッシュを1個。腹もちが良ければいいんだけど・・・
スタートはLa Juntaから24マイル(38.4キロ)戻った草原の中。空一面を重い雲が覆い、今にも降り出しそうな曇り空。天気予報だと降水確率は40%だ。風も強く冷たい。これで降ってきたら今日はLa Juntaの街まで戻れればよし、としよう。「風強いし、自分のペースでゆくから自転車乗らんといて」と言い置いて寛平さんはスタートした。寝ていないし、ゆっくりした食事もとれなかったし、疲れているし、で、モチベーションも上がらないんだろう。こんな時は好きなように走ってもらうのが一番いい。体を動かしてゆくうちに本当の体調もあらわれてくるし、調子が戻ってくればテンションも上がってくるものである。サポーターは3マイル間隔で寛平さんを待つことにした。スタートして3マイル地点、寛平さんの表情が明らかに違う。笑っている。「どうですか?」「まあ、ぼちぼちや・・。お陽さんが出てきてるやろ?」と指さす方角をみると、なるほど厚かった雲が白く太陽の分だけ明るくなってきているし、一面を覆っていた雲が北の方へ動き始めている。気温もスタート時よりは明らかに上がってきている。
さらに6マイル。「もう10kmほどやな」といってチョコレートのパンを紅茶と一緒に食べる。空はこの1時間で青空に変わってしまった。R160両側に広がる牧草地の緑が本当に美しい!牛やヤギがのんびり草を食んでいる。昨日まで群れをなして走っていた鹿たちの姿がさすがに今日は見えない。La Juntaの町の入り口に墓地がある。予定のルートだとこの墓地を左に折れてLa Juntaの町中に入ってゆくのだが、寛平さんなぜか手前の三叉路で右の道に走ってゆく。聞くと、「これがショートカットの道や思うねん。先に行っといて。中華(この日の昼食場所)で合流や」これも寛平さん流の気分転換の仕方。合流場所で待つことしばし。とんでもない方向から寛平さんが現れた。「どや、距離は?」予定コースより180m短かった。「やったあ〜!短かったぞ!でもたった180mかいな・・(がっくり)」途中、線路を跨いでショートカットしたらしいのだが結果は180m(笑)。でもこんなことしたり、やったりしながら走ることを楽しんでいる寛平さんは実に楽しそうだ。
外国にゆくと食事の工夫が一番大変だ。短期間なら珍しさもあってなんとか地元の食事で済ませることができるが、数か月に及ぶ場合はそうはいかない。勿論、地元の食事で済ませることが多いが、時に、タイやベトナム、そして中華などアジア系のレストランで食べることも多い。これらの国の食事とアメリカンフード、それに手作りの和食(ご飯、餅、お粥、麺類など)を織り交ぜて、栄養・嗜好の変化・エネルギーを加味しながら食事をとってゆく。本来なら栄養管理をして体力を維持することも考えなければならないのだろうが、なにせ帯同スタッフがすべてを賄わなければならないから、その意味ではとっても勉強になるし、これもまたすっごく楽しい!!
中華で「ホットワンタンヌードル」と餃子を食べた寛平さん、「ほな、あと10kmちょっと行くわ・・今日はそれでいいやん、なあ?坂もっさん?」「大丈夫ですよ!」(そこまで行けば50kmになる)。疲れと睡眠不足で心配していた寛平さんだったが、「神さんがついてるパワー」で降水確率も変えてしまい、強風も追い風に変えて、ここから13kmを走りきってしまったのだ。La Juntaからおよそ10マイル地点で本日はフィニッシュ。「明日は休みだあ!」
午後からの道すがら、寛平さんと例によってあれこれ話しながら伴走した。その折「寛平さんはいつ頃から今のように強くなっていったの?」という素朴な質問 をぶつけてみた。寛平さん曰く、「やっぱり、2006年から2007年にかけてやった練習やね」という答えが返ってきた。つまり、比企さんと地球一周を思い立ってからいろんな超長距離経験者やレース経験者から話を聞き、どうすれば強靭な体力を身につけられるか?ということにぶつかり、最低条件として毎日50kmを走れる基礎走力を身につけなければ出来ないとわかり、その練習に取り組んでからだ、という。
はじめ、50kmを5日間連続をやったそうだ。このとき、5日目には顔がむくみ、吐き気がしてどうしようもなかったそうである。これはダメか?と思ったそうだ。しかし、そこでやめたら地球一周なんて絵空事になってしまうから、その後も50km×10日、50km×14日を正月の休みを使ったりしながら、時に仕事の合間を縫って実践したとのこと。特に、「ゲゲゲの鬼太郎」の映画撮影のときは、撮影所に缶詰状態になるため、多摩川の撮影所まで自宅から20kmあまり走り、帰宅してから深夜に残りの距離を走り、50kmをこなす、という我々でも計り知れない練習を積み重ねていたという。そして、10日や2週間続けられるようになると、「あれ?身体が何ともないやん・・」という状態に変化したそうである。つまり、体力と精神力、そして食べられる内臓が作られてきたことを自覚した時期だったのである。2007年正月に20日間連続50km走を敢行し、これをやり遂げ体力面の自信につないでいったとのことである。勿論、今の心技体にたち至るまではこれ以外のこともたくさんあるが、それはまた後日。
スタートはLa Juntaから24マイル(38.4キロ)戻った草原の中。空一面を重い雲が覆い、今にも降り出しそうな曇り空。天気予報だと降水確率は40%だ。風も強く冷たい。これで降ってきたら今日はLa Juntaの街まで戻れればよし、としよう。「風強いし、自分のペースでゆくから自転車乗らんといて」と言い置いて寛平さんはスタートした。寝ていないし、ゆっくりした食事もとれなかったし、疲れているし、で、モチベーションも上がらないんだろう。こんな時は好きなように走ってもらうのが一番いい。体を動かしてゆくうちに本当の体調もあらわれてくるし、調子が戻ってくればテンションも上がってくるものである。サポーターは3マイル間隔で寛平さんを待つことにした。スタートして3マイル地点、寛平さんの表情が明らかに違う。笑っている。「どうですか?」「まあ、ぼちぼちや・・。お陽さんが出てきてるやろ?」と指さす方角をみると、なるほど厚かった雲が白く太陽の分だけ明るくなってきているし、一面を覆っていた雲が北の方へ動き始めている。気温もスタート時よりは明らかに上がってきている。
さらに6マイル。「もう10kmほどやな」といってチョコレートのパンを紅茶と一緒に食べる。空はこの1時間で青空に変わってしまった。R160両側に広がる牧草地の緑が本当に美しい!牛やヤギがのんびり草を食んでいる。昨日まで群れをなして走っていた鹿たちの姿がさすがに今日は見えない。La Juntaの町の入り口に墓地がある。予定のルートだとこの墓地を左に折れてLa Juntaの町中に入ってゆくのだが、寛平さんなぜか手前の三叉路で右の道に走ってゆく。聞くと、「これがショートカットの道や思うねん。先に行っといて。中華(この日の昼食場所)で合流や」これも寛平さん流の気分転換の仕方。合流場所で待つことしばし。とんでもない方向から寛平さんが現れた。「どや、距離は?」予定コースより180m短かった。「やったあ〜!短かったぞ!でもたった180mかいな・・(がっくり)」途中、線路を跨いでショートカットしたらしいのだが結果は180m(笑)。でもこんなことしたり、やったりしながら走ることを楽しんでいる寛平さんは実に楽しそうだ。
外国にゆくと食事の工夫が一番大変だ。短期間なら珍しさもあってなんとか地元の食事で済ませることができるが、数か月に及ぶ場合はそうはいかない。勿論、地元の食事で済ませることが多いが、時に、タイやベトナム、そして中華などアジア系のレストランで食べることも多い。これらの国の食事とアメリカンフード、それに手作りの和食(ご飯、餅、お粥、麺類など)を織り交ぜて、栄養・嗜好の変化・エネルギーを加味しながら食事をとってゆく。本来なら栄養管理をして体力を維持することも考えなければならないのだろうが、なにせ帯同スタッフがすべてを賄わなければならないから、その意味ではとっても勉強になるし、これもまたすっごく楽しい!!
中華で「ホットワンタンヌードル」と餃子を食べた寛平さん、「ほな、あと10kmちょっと行くわ・・今日はそれでいいやん、なあ?坂もっさん?」「大丈夫ですよ!」(そこまで行けば50kmになる)。疲れと睡眠不足で心配していた寛平さんだったが、「神さんがついてるパワー」で降水確率も変えてしまい、強風も追い風に変えて、ここから13kmを走りきってしまったのだ。La Juntaからおよそ10マイル地点で本日はフィニッシュ。「明日は休みだあ!」
午後からの道すがら、寛平さんと例によってあれこれ話しながら伴走した。その折「寛平さんはいつ頃から今のように強くなっていったの?」という素朴な質問 をぶつけてみた。寛平さん曰く、「やっぱり、2006年から2007年にかけてやった練習やね」という答えが返ってきた。つまり、比企さんと地球一周を思い立ってからいろんな超長距離経験者やレース経験者から話を聞き、どうすれば強靭な体力を身につけられるか?ということにぶつかり、最低条件として毎日50kmを走れる基礎走力を身につけなければ出来ないとわかり、その練習に取り組んでからだ、という。
はじめ、50kmを5日間連続をやったそうだ。このとき、5日目には顔がむくみ、吐き気がしてどうしようもなかったそうである。これはダメか?と思ったそうだ。しかし、そこでやめたら地球一周なんて絵空事になってしまうから、その後も50km×10日、50km×14日を正月の休みを使ったりしながら、時に仕事の合間を縫って実践したとのこと。特に、「ゲゲゲの鬼太郎」の映画撮影のときは、撮影所に缶詰状態になるため、多摩川の撮影所まで自宅から20kmあまり走り、帰宅してから深夜に残りの距離を走り、50kmをこなす、という我々でも計り知れない練習を積み重ねていたという。そして、10日や2週間続けられるようになると、「あれ?身体が何ともないやん・・」という状態に変化したそうである。つまり、体力と精神力、そして食べられる内臓が作られてきたことを自覚した時期だったのである。2007年正月に20日間連続50km走を敢行し、これをやり遂げ体力面の自信につないでいったとのことである。勿論、今の心技体にたち至るまではこれ以外のこともたくさんあるが、それはまた後日。