2009年5月アーカイブ

KANPEI EARTH Marathon-090531-1
KANPEI EARTH Marathon-090531-2
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 シカゴに近づきつつある寛平さん。
 今朝は久しぶりに寛平さん、奥さんと話をした。現地は夕方の7時過ぎだったが寛平さんは寝ていたようだ。現場を離れてからすでに2週間以上が経っている。今は奥さんが現場に行っているので食事と寛平さんのメンタルは心配していなかったが、そろそろ奥さんも現場を離れるので状況が知りたかった。一番気になるのはともかく食事内容と体重の減少。運動量と体力消耗のバランスが大事で、1kg以内の増減ならさほど心配は要らないが、2kg以上減るようだと食事の摂り方か運動量か身体の内的要因か?を調べてみる必要がある。現状、毎日50〜55km前後をコンスタントに走れているから、この運動量がきちんとこなせ、消耗した体力を食事と睡眠で補うことができていれば先ずは安心。後は筋肉と精神的な疲労を一定のインターバルで解消することができれば安定してランをつづけてゆくことができるはず。

 今回のアースマラソンは寛平さん自身の発心ではじめたことだから、テレビや舞台の仕事とは違う。自分のペースで、自分の走りたい距離を走りたい方法で走ってゆけばいい。勿論、多くの応援者やスポンサーからの強力な支援があって成り立っていることもあるし、その期待にこたえてゆくのは寛平さん。私は20年前、寛平さんと知り合う機会を得たことが人生の転機になった。このことは私にとっては何事にも代え難い恩義である。このアースマラソン、寛平さんが無事に日本にゴールし、ご本人の念願が達成してもらうことが私の心願でもあり、念願だ。だから周囲の状況には惑わされず、可能な限りのサポートを続ける覚悟である。
 月刊「ランナーズ」7月号のP.83に、坂本が寄せた「がんばれ 間寛平さん!!アースマラソン・サポート日記」が掲載されています。  北米ルートのこと、食事、からだのことなど北米横断の様子をお伝えしています。是非ご覧ください。
 北米中間地点を抜けてミズーリ州に入った寛平さん。高温多湿の後半をどんな走りでNYを目指してゆくのか?

 以前にも話したように走りが生活化することに成功すれば、後は蓄積疲労の解消とメンタリティの持続力で距離をこなしてゆくことになる。公式ブログの中でも伝えられているとおり、サポートクルーは身の回りの世話、宿の手配、コース確認、食べ物の買出し、そして映像撮りとブログへのアップが主な作業。これらの基本作業のほかに日本からの応援者や撮影隊が来たときの受け入れ、日本部隊との様々な情報交換や諸々があるから現場での作業の実際はかなりきつい状態だ。

 そこに必要なことは一にも二にも目標・目的のための意識の一体化(協力・協調・調和)である。自分の役割をしっかり自覚して、その上でチームとしてどう考え、どう立ち居振舞うか?各人が自分勝手な行動や言動に終始していては真のチームワークは生まれない。勿論、日本で現地を支えている部隊も然りである。このことは特段アースマラソンに限らず、社会の一員として過ごす中でも言えることで「人間の本来あるべき姿」を示唆している。つまり、寛平さんのアースマラソンはこんな原点的な人間の在り様も教えてくれているのである。

 アースマラソンで予定されている北米以外の地域にはもっと辺鄙なところが沢山あるし、治安面でも必ずしも安定している地域ばかりとはいえないところもあるから、クルーはできるだけコンパクトにして目立たずに、そして倹約にも心がけて進んでゆかなければならない。北米こそ時間的にも距離的にも経費的にも行こうと思えば行けるところだが、ヨーロッパ・中東・中国となると今とは比較にならないほど孤立したランニングになってゆく。“アース(地球規模の大地)を自分の脚だけで繋ぎ回る、ということは常人では想像できないレベルのことなのである。
 アメリカで寛平さんに合流している光代さんや比企さんの様子を見てホッとしながら次の準備を日本で進めています。

 カンザス州もここまで入ってくると気温、湿度が上がり、日中の暑さが伝わってくる感じがする。これから東に向うに連れて、更に気温と湿度は上昇傾向を辿るだろう。シカゴからNYへの道筋はコロラドからシカゴに向かう農地中心の風景とは異なり、多分、商業や工業によって発達した都市が続くんだろう。自然環境も交通事情も治安も田舎のエリアとは違うだろうからサポートには少し違った意識で臨もうと思う。

 日本にいる時間はあと5日くらい。帰国中にやらなければならないことがどっさりあって寝ている時間があまりない。まあ、寛平さんが無事に東を目指し、久々に光代さん、比企さんと癒しのひとときを過ごしてくれていれば心置きなく残りの北米やヨーロッパのこと、中東、中国の準備や会社のことに専念できるのも事実。折に触れて日本土産も物色中なので楽しみにしていてください。
090518nobeyama.jpg  過去最悪の雨で終始し、参加者・関係者が大変な思いをした昨日とは打って変わった今朝は快晴の八ヶ岳野辺山。頂を残雪で化粧した連峰は真っ青は空に映え清新な景観を見せていた(くやしい!!)

 今回で15回目を迎えたこの大会、15年前に立ち上げたときは果たしてこんな厳しいコースの100kmに参加者がどれだけ来るんだろう?と?マークもあったものである。ここのコースは高低差が1000m近くある上に八ヶ岳林道の不整地や馬越峠という600m以上も上らなければならない大きな峠越えが70km付近から延々と続くこと、とどめは90km過ぎから野辺山のゴールに向かう道筋がダラダラとした上り坂であり、どっこいなかなかゴールさせてくれない、という一筋縄ではゆかないコース、ということもあったからだ。

 この大会を立ち上げようとしたもうひとつの要素は八ヶ岳山麓の圧倒的な自然の存在だった。八ヶ岳林道は普段は一般人の立ち入りが禁じられていて、その分自然はしっかり守られていた。自生している白樺や唐松、ぶななどの原生林が豊かで、その結果、野生生物も植物も数多く生息・繁茂している。特に最初林道に足を踏み入れたとき、巨大な角を持った大シカとの遭遇には震えるような感動と「やるならここだ!」ということを決定づけた出来事だったのである。こんな手つかずの自然の中にコースを描き、それによって生まれた厳しいけれど走り甲斐のあるタフな大会が生まれたら・・さぞやゴールを果たすランナーは簡単な100kmのコースを攻略する以上の醍醐味を堪能してくれるのでは?と思ったものである。こんな個人的な思惑をしっかり受け止めてくれた南牧村と関係者のみなさんの寛容と協力には、ただただ感謝の気持ちしかない。スポーツイベントは単に愛好者の満足ゆく内容を目指すだけでなく、イベントを支えてくれる地元の機関と地元の人々にとって意味あるものにしてゆかなければならない、という思いをつくづく感じた15回大会だった。

 ところで寛平さん、遂に北米半分地点に到達した!
 アースの現場を離れて今日で11日。KANSAS州を抜けてMissouri州に入った。日本を出てから既に5ヶ月が経っている。連日のように現地在住の日本人の皆さんが応援や差し入れに来てくれて賑やかな毎日を送っているとは思うが、さみしがりやの寛平さんのことだから内心はブルーになっているだろう。ということで、最強の助っ人兼最大の甘え相手の光代夫人が今頃は合流し、元祖相方でエオラス号でも共に生死を分かち合った比企さんも一緒なので、夢のような日々を過ごしているに違いない。

 NYまで、そうは言っても未だ半分、2500kmくらいが残っているわけだから、オアシスでの憩いの後は再び修行僧のような生活が待っているはず。ちょっとでも寛平さんやスタッフの和みになればいいと思っているので、月末前には現地に行くつもりだ。
 ダグラスと私は今朝、寛平さんやチームと別れた。デビットのチーム復帰でダグラスが交替、私は日本でたまっている仕事の整理で二度目の一時帰国だ。

 昨夜はGarden Cityで2泊したコンフォートインモーテルのオーナー宅に泊めてもらった。といっても有料。寛平さんの走りの予定から考えると、もう1泊Garden Cityに泊まりたかったのだが、このあたりの農家が集まって行われる農業コンベンションがあって、Garden City中の宿泊施設が満タンで予約が取れず、ダッジシティというところに宿をとらなければならないことになっていた。これを聞いたオーナーから自宅を使ったらどうか?という提案があったのである。このあたりではこういうことはよくあるらしく、自宅を有料で開放し、さまざまな方法で使ってもらおう、というものだ。

 オーナー宅では、我々のほかにも近所のご婦人がたの集まりがあった。休日のこの日は外食をやめ、家で食事をつくることにした。近くのショッピングセンターに行き、簡単な食材を調達。今夜の食事はハムステーキとほうれん草のおひたし、テイクアウトできるサラダバイキングの詰め合わせと、成瀬さんからおもたせのすき焼きだ。ハムステーキは1cm以上の厚さにハムを切り、塩とコショーをかけて軽く焦げ目ができるまでサラダオイルで焼くだけ。これに温かいご飯と、しっかりと出汁をきかせた卵の味噌汁があれば本当に十分!トマトサラダ、例によってらっきょう、海苔の佃煮なども食卓に並ぶ。

 このお宅はかなり広く、落ち着いた調度品でまとめられた室内は素晴らしかった。あちこちに大きな冷蔵庫があり、食材もデザートもどっさり入っているし、コーヒーメーカーも浴室もともかく豊か。私が使わせてもらった台所もよだれが出そうなくらい充実した設備だったので、器も鍋類もガステーブルもゆったり使って調理ができたのである。たまにこんな日があっても面白いし、息抜きにもなっていい。寛平さんはこの日、すごく深く眠れた、といっていた。

 朝6時半、オーナーに見送られて出発。R50に出ると霧雨が降っていた。でも東の空は明るく、長続きはしない感じ。案の定、スタート地点では一面の霧に変わっていた。この霧が晴れたら今日は暑くなりそうだ。朝日があがるにつれて四囲の景色が見えてくる。朝日と平原の緑と霧が幻想的な朝方の情景を創り出してゆく。

 寛平さん、一昨日の走りでアキレス腱が張って軽い痛みがあるそうだ。理由は路面。寛平さんの好きな砂利を被ったアスファルトが影を潜め、砂のない路面に変わってきたため、着地・踏切がダイレクトにふくらはぎに響くらしい。路面に合わせて負担の軽い走りをしてきた寛平さん、これからの路面対応をどうしてゆくか?またまた工夫の始まりになるかも知れない。何しろ下見の無い本番だから、道路も出たとこ勝負なのである。それが面白く、寛平アースはもっともっとさまざまに、時に劇的に、そしてむき出しの人と人との触れ合いを、皆さんや「アースワールド」に興味をお持ちの皆さんに伝えてゆきたいと思っている。寛平さんとはまたしばらく(といっても二週間くらいかな?)お別れです。前回は一時帰国中、ブログは中断しましたが、これからはいろんな角度でアースを書いてゆこうとおもってますのでお楽しみに!

 今、眼下にはカンザスの大草原が広がっている。ウイチタから乗ったこの飛行機はデンバーに向かっている。見渡す限りの平原には緑一色の小麦畑と茶色のコーン畑が円や四角に整然と並んで見える。それらの平原に一直線に定規で引かれたような道路のラインが伸びている。上空からみても真っ直ぐな様子が鮮明だが、この直線道路を毎日コツコツと一歩一歩走り続けている寛平さんの姿が鮮やかに網膜に蘇ってくる。これは蟻んこのような歩みの積み重ね。コロラドのロッキーを越えてから行けども行けども曲がらない道を走る辛さをふつうは感じるのだろうが、寛平さんは日々のランニングについて「こんなに有り難くて、幸せなことはないでえ・・ホンマ、感謝やなあ」と言い切っている。走りの合間に交わす会話の中でも今の自分、アースマラソンのような、したくても絶対にできないことを、周りのすべての人たちの力によって叶えさせてもらえているという感謝の気持ちを、随所で聞かせてもらうことがある。これは正直者寛平さんの偽らざる心境であろう。少なくとも私には寛平さんが体現しているアースマラソンは「人」がともに手を携えて次世代に伝えてゆかなければならない「友愛・慈しみ・誠意・寛容・謙虚さ」といった今は見失われかけている人間に必要な「本質」を問わず語りに語りかけているように思えてならない。そして、美辞麗句や世辞のような虚飾な表現ではなく、質朴な「走り」という行為で伝えているところが寛平さんという人物の大きさと慈愛を強烈に印象づけられるのである。

 気が遠くなるほど広大なアメリカは、まだほんの一部でしかない・・・。
 今朝はスントの成瀬さんが帰国。短い応援滞在だったが、滲み出るやさしい人柄でチームを応援してくれた(感謝!)。寛平さんを中心とする大ボケ、小ボケチームの北米横断奮戦模様を十分楽しんで帰られたことでしょう。ンキロの巨体をお気に入りのハーレーに乗せてデンバーまでの長距離ライディング、本当にお気をつけてお帰りください!ありがとうございました!それにしてもスントの時計、スグレもののうえにカッコいいデザインで、寛平さんばかりでなくスタッフ一同凄い気に入りよう。特に、無数の坂道を走ってきた寛平さんにとっては頑張りをすぐに大きな文字で確認できるから、標高を見ることがとっても楽しみになっていたみたい。

 今日は、昨日と打って変って朝から雨。休日をそれぞれたまった作業や片づけに費やしている。寛平さんはカメラマンの鈴木さんと撮影。どんな写真ができてくるのかすごく楽しみだ!私はブログを書いたり洗濯物をしたりして、午前中を過ごしている。これくらい長い道中になると、寛平さんの走りを中心に、食べているか、走っているか、食事を作っているか、寝ているか、というサイクルが日常化するから、眠っている以外はともかく気分転換の材料を四六時中探して、突っ込んだりボケたりすることしかなくなってきてしまう。でもこれがすっごく面白く、会話の過程で気がつかなかった自分を見つけたり、仲間の一面を発見したりして全く飽きがこない。

 アメリカは広すぎて結論を急ぎたくなる日本人には慣れるまでちょっと時間がかかるけど、慣れてしまえば時間の過ぎ方も自然との付き合い方もアメリカの人たちとの交わり方も、せかせかしてなくてとっても心地よいもの。もうすぐ北米ルートの半分がやってくる。一口に半分といったって2400km以上ある。日本だって、走って50日位かかっているのだ。本当に大したもの!コツコツ愚直に歩みを続けること、それはやがては岩をも砕くほどの大力になること。小さなことにこだわらず、大局を見つめられる自分を見つけること。今の自分が決して自分一人ではなく、多くの人たちに支えられて初めて生きていられることを自覚すること。命を授けてくれた両親に感謝すること。数えだしたら枚挙のいとまがないくらい、教えていただくことが多い。圧倒的な自然や大地の大きさの前にいるとこんな気分にさせられる。
 Garden Cityから車で25分のR50号上が今日の出発地点。今朝は出発地点が近い分、前日より30分遅れの午前6時30分にモーテルを出発。

 朝6時、いつものように寛平さんが部屋にやってくる。時間はいつも正確。
 寛「おはよう、今日は眠いわあ・・」
 私「何時に寝たんですか?」
 寛「10時過ぎには寝たんやけど、何度も目が覚めてもうて・・」
 私「とりあえず今日はサバの味噌漬けと豚の角煮、たらこの昆布巻き、それに味噌汁とおにぎり、じゃこの佃煮、牛乳です。」炊きたてで大きめのおにぎりを3個食べてくれた。
 私「やっぱり1日1回は和食でしょう?しっかり食っておけば午前中はもつでしょうし。」とか言いながら食事をしてもらう。
 私「昨日がんばってくれたし、今日は50~55kmの間なら問題ないですよ。」
 寛「うん、わかった。」

 スタートするといつもならすぐに走り始めるのだが今日はちょっと走ると止まってしまう。やはり疲れがたまっているのかな、口では強がりをいっているけれど疲れていないわけがないのに・・。やはり、無理にでもマッサージをする必要があるな、と思った。確かに、寛平さんがいうようにノーケアでずっと行ければよいけど、定期的に体のケアをしなければと思う。

 Garden Cityの町に入る前にいくつものFeed Yardがあって1万頭ちかい牛が飼育さてれている。匂いは強烈だが壮観だ。このyard通過だけでも10km近くあって、寛平さんと私はがんばって、速やか(?)に通過した。

 Garden Cityまで約36km、ここで今日は簡単にファストフードの昼食を済ます。ようやく日差しが戻り午後からは快適な天候。少し風はあったが今までのことを考えたら大した風ではない。

 カンザスに入って二日目になる。昨日は北米に来て二度目の時差調整をした。また1時間時刻が繰り上がり、1時間日本に近づくことになる。日没も午後8時ころと遅くなるのだが、あたりが昼間のような明るさと日差しなのでつい、まだ早い、と錯覚してしまい、気づくとすぐに10時を回っている。朝が早いので時刻はしっかり見ておかないと寝る時間を誤ってしまう。アメリカは広く、NYに着くまでにもう一度時差調整するタイミングがある。

 明日はNBカメラマン鈴木さんとスントの成瀬さんがアウトするので今夜はみんなでお別れの夕食会をする。
 5時に私の部屋にきた寛平さんに、朝食を食べてもらう。今朝はふりかけをかけたおにぎりとブリの照り焼き、すき焼きと味噌汁。おにぎりは海苔で巻いて4個食べてもらった。出がけにデニッシュ1個と牛乳350ml。

 今日はGarden Cityからおよそ60マイル離れたR50上からスタートするため、5:30に宿を出発した。モーテルの外は細かい雨が降り、肌寒さを感じるくらい。ダグラスが運転する暖房のきいたバンに乗り込み現場に向かったが、暖かい車内でうとうと。昨日のゴールテープはR50脇を走る鉄道の線路際に置いたのでみんなで探す。みんな目標物の記憶が鮮明でなかったが、寛平さんが目ざとく見つけた。彼の記憶は抜群で、特に自分の走った道や周囲の風景にはことさら正確だ。「今日はともかく60kmか70kmはゆくでぇ。前に進まな・・」と言い置いてとことこと走り出す。

 不思議なことにいつの間にか雨は上がり、風は全くなく、気温も低くない。絶好のコンディションになっている。それが寛平さんがいる周囲だけである。四囲はまだどんより曇り、雲も分厚くいつ降り出してもおかしくないのに、である。今日は昼まで雨の予報で、60マイル先は実際雨だったからなおさらだ。「気持ちいいなあ・・」路面はフラットで通る車も少なく、無風。伴走している私も快適だ!

 歩きながらゆっくり行く、といっていながら寛平さんは大抵50mもするとコンディションを確かめるようにゆっくり走り出す。これはその日の体調をきちんと測っているのだ。9分/kmくらいのゆったりしたペース。寛平さんが言うように、ともかくウルトラランニングでは徹底してキックを使わない走り方が大事で、路面を撫でるような足運びを身につけることだ。この走り方にはいくつかポイントがあって、足首を柔軟に使うこと。つまり、自分の足長分だけ歩を進めて着地すること。足首をクネクネとした感じで使いながら走るとキックは使わずに走れる。すると脛やふくらはぎなど、着地・踏切で使う筋力を極端に節約することができるのだ。寛平さんはこの走法をしっかり体得している。更に、骨盤の後傾を意識的に減らし、むしろ前掲気味にすることで上下動を防ぐ、という走法だ。この技術は簡単にはできないかもしれず、数知れないウルトラを経験してきた寛平さんならではの熟練技術といえる。この走法が身に着くと、筋肉へのダメージが減り、結果的に疲労が少なく、故障も少ないということにつながってくる。

 カンザス州のR50は全く景色の変化がなく、走るのも退屈だ。だからこの日もあれやこれやと世間話や、冗談を言い合いながら淡々と距離を踏む作業を続けた。相変わらず牧場の牛も馬も犬も寛平さんの靴音に反応している。これも日常の出来事。変化といえば昨日から合流しているアースマラソンスポンサーのカメラマン鈴木さん(NB)と同じく時計メーカースントの成瀬さんが同行して、サポートの手伝いをしたり、撮影をしたり、計測をしたりしていることだ。当然、事前にアースでの寛平さんの頑張りや超人さは知って来ているのだが、実際の寛平さんやサポートの面々とのやりとりを目の当たりにして、新鮮さと感動を実感しているらしい。チームにとっても新顔の合流は新鮮である。

 毎朝和食を食べ始めた寛平さんの体重が戻ってきた!夕食後ではあったが130ポンド台まで回復してきたから、この調子でうまく調整してゆけば135ポンドまではあと一息だ。本日は、Garden City手前約20マイル地点でゴール。63kmを走り切った。
 北米横断44日目。
 今朝も小雨交じりの冷たい朝。R50は相変わらず淡々とした一本道で東に向かって延びている。昨日通ったGranadaでは第二次大戦中の在米日本人および日本人二世らが収容されていた施設跡を寛平さん、スタッフ一同で訪ねた。Amacheとなずけられたこの施設に収容されて、狭い部屋に大勢が詰め込まれ、マメ電球1個と水道も換気もない状態で足掛け5年近くも不自由な生活を強いられた人たちの、窮状と厳しさを説明書きから読み取ることができ、日米の歴史の一端にこんなところで触れることになろうとは、寛平さんも私も思ってもみなかったので、当時を偲んで心の中で感謝と慰労を捧げた。「これは何が何でもアース完走とオリンピックは東京に持ってこねば・・!」と決意を新たにするのだった。

 見渡す限り360度の平原は「なんだあ、こりゃあ!!」というくらいだだっ広い大地。スタートして1.9km、北米横断をはじめて遂にというか、もうと言おうか2000km地点に到達した!43日と2時間半での到達だ。一日あたり46.51kmに相当する。実際はスタート当初24kmから始まって、30km台が1週間くらい。40km台も1週間くらい。LAを出発して50km台をコンスタントに走り始めてからは、まだ3週間強しかたっていない。ここ2週間の間に60km以上の距離を走った日が4日間で、これから少しずつ距離を延ばすようにしてゆく。1クール、60km超え日を2日間つくってゆければ、NYへの日程も徐々に鮮明に見えてくるだろう。寛平さん、スタッフ全員で記念写真をパチリ!(NBから派遣されたカメラマンの鈴木さんに撮ってもらった。)

 昨日も一昨日もそうだったが、一面の曇り空で降水確率も40%と高いのに、なぜか寛平さんが走ってゆくところに大きな崩れが起きない。不思議だ。究極の晴れ男??なのか神が宿り始めたのか??

 もうひとつ不思議なことがある。動物たちの動きだ。何度も言うようにコロラドからカンザスにかけては一帯が酪農地帯で、道路の両側には牧場が広がっている。そこにいる馬や牛、飼われている犬や鳥たちの反応が興味深い。というのは、寛平さんが走るときに、アスファルトの路面を擦る音がするわけだが、この「ざっざっざっざ・・・」という音にこれらの動物が100%反応するのだ。牛は草を食むのをやめて一斉にこちらを見、一斉に動き始めるし、馬は同様にこちらを注視したあと、寛平さんのところに集まってくる、中には遥か100m以上も離れたところから走って来る馬もいる。犬は一斉に吠え始め、鳥も群れをなして近くに。時には道路付近まで来る・・・。一体、これはどういうことなのだろう???考えてみたところ、多分、これらの動物が共通して持っている感覚の波長と靴音の波長が合っていて、それに引きずられた行動、ということが考えられる。違った空想をすれば、寛平さんはノアで、ノアの行動に神が啓示した来世に必要な動物たちが反応して集まってきているのか?寛平はフォレストガンプ!?(考えすぎ?)

 12km地点、長かったコロラド州に別れを告げるときが来た。カンザス州との州境ボードが見えてきた!「やったどー!コロラド州さようならあ、カンザスさん、こんにちわー!」寛平さんが叫んだ。
 今日から5月。日本では「風薫る季節」になり、GWも今年は大型と聞いているが、アースマラソン敢行中のコロラド州はまだ寒い日と温かい日が交互におとずれ、不安定な気候だ。

アメリカに入り、43日目の走行となる本日は、コロラド州とカンザスの州境に近い町Lamarからの出発。今朝はおにぎり3個と、餅3個を入れた雑煮を食べてもらった。寛平さんは朝から旺盛な食欲で、我々も寛平さんがしっかり食べてくれると本当にうれしくなる。なにしろ連日55〜60kmのランニングをするわけだから、その糧となるエネルギーをしっかり摂ってもらわないことには始まらないわけである。特に、和食党の寛平さんに何食もパンやファストフードで凌いでもらうわけにはゆかないから、1日1回は和食で力をつけてもらいたいのが願いだ。

 カンザス州は広大な平野を利用した一大農業地域と聞いている。いろいろな野菜類を大規模農場で栽培することと、牧畜である。R50号をLamarからGarden cityに向かって走るのだが、この間がおよそ140km。町とは呼べないくらい小さな集落が点在していて、牧場や畑、荒れて使われていない原野がひろがるばかりだ。このあたりらしい情景に出会ったのは、スタートしてから5kmほど進んだところ。道路に沿って巨大な牛の集積場があった。勿論、一帯には牛糞の匂いが充満していて、とてもではないが息苦しくなる。ざっと見て1万頭以上の牛が囲われた柵の中にいて、ちょっと異様な感じがした。「なんやこれ~!すっごいにおいやなあ。それとこの数・・・」寛平さんの一声。確かに。黒、茶、白、まだらといろんな牛がいる。これは何の牛なのか??ということが話題になり、ダグラスに聞くと「これは生育の良くない牛が農場から集められて、飼料を与えられ、生育後再び農場に送り返されるための施設」とのこと。さすがは大量の食肉牛を生産している国だ、と妙なことに感心。

 今日は一昨日に引き続いて朝からの曇天で、風も強く、走りだしてしばらく経つと細かな雨が混じってきた。気温もスタート時から比べるとかなり下がり、体感的には5~6℃、といった感じだ。スタートして15km、ちょうど宿泊場所のモーテルに差し掛かったので、急遽ここで着替えることにした。わずか30分後、再スタートする頃には、曇り空は変わらないものの雨の心配は遠のいた。昨年、12月に大阪を発ってから陸路では不思議なくらい雨に会っていない。4か月という期間を考えるとこれはもう神がかり的なほどの結果である。今日も天気予報では曇りから雨の予報だったが、結果的にはほんの小糠雨に終わっている。寛平さんには「神さん」が乗り移っているのか?と思えるほでである。不思議なことはこればかりではなく、もっと様々なところで考えられないような出来事が起こっているのだが、それはまたの機会、ということにする。

 カンザス州のこの時期はサンダーストームとツイスターが最もよく発生する時期といわれている。ロッキー山脈という標高の高い山々から地形が平地となる大平原の中で起きやすい自然現象なのだが、こんな遮るものがなにもないところでこれらの現象が起こったら、どこに退避すればよいのか?くぼ地に身を伏せて行き過ぎるのを待つのか?ヒューム管と呼ばれる通水管の中に逃げ込むか?いずれにしてもここ数日、ロッキーを下った後の天候を見ているとあながち発生はゼロという感じでもないので、用心しながら進んでゆくことにしよう、と実感した次第。

 正確にカンザス州に入るのは明日から。大平原を通過するのには14~20日間かかる。起伏は圧倒的に少なくなったが、平地は平地でまだまださまざまなことが待ち受けているに違いない。北米横断開始から44日目、区切りの2000km到達も明日となった。最初は走れども走れどもアメリカ地図のNYは遠かったが、コツコツ毎日根気よく走る寛平さんの走りは、北米東西横断の半分にまで歩を進めてきていることになる。明日からのカンザスでは一体どんな旅がわれわれを待っていてくれるのだろうか?

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