2009年6月アーカイブ

 今日はJolietからValparaisoまでの60km。シカゴを目安にLAから3000km以上の道程を走ってきたが、おかしなもので、そのシカゴにくると意識はその先へ移ってしまうから不思議。確かにシカゴは北米内での目標だったし、ず〜っと田舎ばかりを走ってきて、目標到達への期待感もあったからだろう。しかし、北米大陸横断が3/4まで進んでくると、目標はゴールのNYに切り替わり、あらゆるモチベーションが変わってくるようだ。シカゴは全米屈指の大都会だから日本人も多く活動している。今日は20人以上の方たちが寛平アースの応援に来てくれた。勿論、みんな寛平さんの大ファンだ。

 R30はともかく交通量が多い。その上、道路にほとんど歩道というものがない。確かに、アメリカは移動手段がクルマだから道路に歩道はいらないわけだと妙なことに感心するのだが、寛平さんにとっては危険で走りにくいことこの上ない。そのせいか今日は走りのピッチも上がらない。Jolietはシカゴ郊外だが、治安の悪いところもあって、そんなところは建物の佇まいやクルマの様子、ゴミの散らかり具合でもわかる。野良犬がやけに多かったり、なんというか空気感がちがう。こんなところはできるだけサッサと走りすぎることにしている。そして、イリノイとインディアナとのボーダーに到着。実に9つ目の州だ。

 今クールは60kmをベースに走っているが、走りの原動力は食事だ。外国だから家で食べるようにはゆかないが、サポートクルーはあれこれ工夫しながら寛平さんに食べてもらっている。寛平さんも不平不満は一切なく、みんなと一緒にあれこれ云いながら楽しんでいる。NYまで残す州はINを入れてあと五つ。距離も1400キロを切っている。疲労も重なり、足にもさまざまなダメージが出てきている。ともかく事故を起こさずに、ケガをしないように、毎日を確実に走ることに徹してもらいたい。

 クルーが減ってこれからしばらくは少ないスタッフで日々を凌がなくてはならない。私は、後ろ髪ひかれる思いで、今日から現場を離れる。
 朝から雨模様の空。
 気温はさほど低くない。右足の痛みも小康状態を保っている。スタート前にNYまでの残りの距離と、使える日数を伝え、シカゴ以後の進み方を説明した。残りの距離1500km弱を一か月で行くとなれば毎日の走行距離を上げ、5勤1休の1クールで280kmを確実に進まないと間に合わなくなる。計算上は60・60・40・60・60km。今までの寛平さんの走り方ならスタート時刻を朝7時前で守れれば、大きな負担にはならずに行けるだろう。走りに専念できる環境をサポートクルーが作ってゆかなければならない。

 R30とFW55のクロスするところで初めて「Chicago」の標識が見えた。シカゴ、シカゴと目標にしていた都市の名前。今回、寛平さんは2016東京オリンピック招致大使という役目も担っている。沿道に応援に来てくれる日本人をはじめ、機会あるごとに「オリンピックを東京へ」ということをお願いしたりと、バリバリのPR活動をしてきている。シカゴも最終候補都市に残っているから、いわば東京はライバル関係にある。そのシカゴがいつしかアースマラソン中の目標地点にもなっていたから標識が見えた時には感慨がきっとあったはず。
 このころから雨が本格化してくる。風もあるので雨は横殴り。寛平さん、傘をもって走り始めた。ちょっと滑稽な姿だが本人納得の選択。

 11:47、23.9km地点。
 Jolietという古い町並みに入ると建物の雰囲気も都会の匂いがいっぱいだ。煉瓦づくりの建物や船を通すためのハネ橋がかかった川、マイナーリーグのスタジアムなど、ここだけが都会といった雰囲気。Joliet Township High Schoolのクラシカルな建物がひときわ目を引く。大きくいうとシカゴ中心部からそれでもおよそ70kmほど離れているのだが・・。シカゴは全米有数の都市だから人も車も家の数もすべてが過密。したがって治安もその分よくない。日本人は国内治安が良いから治安が悪いところでの危機意識が薄い。このことはこれからNYに向かうにあたってクルー一人一人が意識してゆかなければならないことだ。
 いつの間にか雨があがり、蒸し暑さが増してきている。

 13:20。R30 New Lenox 35km地点。
 Jolietを抜けてしばらくゆくと再び緑が多くなってくる。足の痛みは小康状態を保っているらしく、「大丈夫や・・よかったわぁホンマに」と寛平さん。足はアースの要だから他の何よりも一番ほっとしたのは寛平さん自身だろう。足は甲の部分だけでなく、庇って走るために靭帯や筋肉の他の部分にも負担がかかり、かなりの痛みがあるだろうが表情には全く変化はみられない。穏やかそのものだ。最近の寛平さんからは、疲れや痛み、暑さや寒さからくる苛立ちなど、それが読み取れるほど表情には表わさなくなってきている。ありのままを受容する「心の力」が生まれ始めているのではないか?
 「13:36かあ・・ほな5kmゆこか」と言い残して走りはじめた。New Lenox〜Frankfort〜Richton Parkに向かうR30は交通量が多く、歩道がないため走りにくい。

 14:25 40km地点。
 大勢の日本人応援者。地元シカゴの日本人学校の教師をしている家族が大挙応援に来てくれていた。CoCo一番カレーを1杯、オレンジ1個とお茶の昼食を済ます。残りは20kmだ。45km地点、走ることに集中しはじめて寛平さんの走りも滑らかになる。ジュースを1本、ぐいっと飲んで「あと15km!」の声に「よっしゃ!!」を残して走りだす。「脚はどうですか?」「あかんなぁ・・」といいながらもフォームに大きな崩れは感じられない。この15kmを、5km40〜42分でカバー。見事な走りで60kmを完走。

 寛平さんは元来痛みに強い人だ。それよりもそれを表に出さないのでわからない。これは想像だが、痛みの原因は本人も当然わかっていて、どういう走りをすれば痛みをカバーし、更にしっかり走れるフォームをつくれるか?を常に同時模索し走りのバリエーションを増やしている。進化を続けているのである。今夜は本人のリクエストで久しぶりの寿司を堪能した。
走行74日目。
今日はDePue~Wedronまでの60km。スタートのSpring Valleyを出てすぐに寛平さんの様子がおかしい。右足の甲が痛いという。昨日から足首の関節に痛みがあるといっていたので、ピンとくるものがあった。シンスプリントと呼ばれる走りすぎからくる障害だ。これは走りすぎやローアーチといわれる甲骨の低い足、キックの強い走りをするランナーによく起きる障害である。

 今まで、路面の砂を巧みに利用して、キックを使わない走りを続けてきた寛平さんだった。しかし、段差や勾配がきつくて路肩が使えないため、アスファルトを中心に走り、滑らないぶんだけキックを多用したので甲に負担が大きくかかったのだろう。勿論、もともと偏平足ぎみの足だし、3000kmも走ってきているから甲のアーチも落ちてきている、など複数の要素が溜まってそのストレスが甲にきたのである。

 この障害は、そのままで走り続けることは痛みが激しくできないし、無理をすれば炎症がさらに悪化して、取り返しがつかなくなってしまう恐れがある。現場でできる対処法は氷でできるだけ長い時間冷やすか、あとはアーチサポートをすることだ。スポンジ状のテープ(アンダーラップ)を土ふまずにあてがい、さらにインソール(中敷き)を持ち上げてアーチをあげる工作をすること。幸い、トレーナー池田君と整形外科医でもあるデビットがクルーにいるので彼らにその処置を任せた。

 しっかりとサポートをして試しに走ってもらうと、「おお、大丈夫や!!痛ない・・全然違うわ!!」それでもソックスをはくと多少の圧迫感が残るため、シューズの紐を思いっきり緩め、ほとんどスリッパ状態にして走ると、痛みは劇的に緩和され、しっかり走れるようになった。

 ウルトラマラソンをサポートしていると、今回のようなトラブルは至極当たり前のように起きるから、どんな障害が起きるか?を事前に十分検討し、想定してケア用品も準備しておく必要がある。そして、ランナーに何かあったとき、その状況を即時に判断して適切な処置を施さないと取り返しがつかなくなってしまう。寛平さんには地球一周という大きな目標があるし、オリンピックの招致大使という役目も担っている。この計画を体現し前に進めているのはまさに寛平さん。過保護にする、ということではなく必要な時に必要なことをランナーの身になって効果的に対処できるスタッフがつくということは、最優先で考えないと大きな夢も夢想に終わってしまう。

 まだ北米、工程はこれからが本番みたいなものだ。私は寛平さんの夢の実現に向かった文字通り歩を運んでいるから、その足がどんなことがあっても止まらないように!今回の出来事で気持ちを新たにしたのだった。
 夕べ、寛平さんとGalvaからの走り方を相談した。NYまでの距離はおよそ1462km、NY到着予想日を7月6日前後に置くと、残された日数はきょうを含めて33日。途中の休日を差し引くと実質28日間しかない。単純な割り算だと1日平均52kmを走ってゆけばNYには予定通り到着するはずだが、天候・体調・その他によるロスや予備を考えたら、毎日の平均走行距離少し多くして日程面での安全策をとることを提案した。その内容は現行の5勤1休(4勤1休1半休)のパターンは変えず、走行距離を60・60・40・60・60kmとして、1クールの走行距離を280kmにアップすることで予備(貯金)を極力つくり、ある程度の余裕をもってNYに接近しよう、というものである。こうするとおよそ1.5日の余裕が生まれ、休日に歩きを入れれば、入れた分だけ貯金が増えて、後半に時間の余裕が多くできることになる。結果、大西洋横断の時間的計算も立てやすくなることに繋がるからだ。

 寛平さんの身体は疲労困憊しているはず。ここまでノーアクシデントで来ていること自体が驚異的なことなのだが、北米横断は実はこれからの1か月が最も肝心で、且つ、工程確保がさまざまな観点でシリアスになってくるのである。したがって、寛平さん自身が疲労回復につとめ、しっかり食事をとること、睡眠時間は絶対に確保すること、などセオリーではあるがはずしてはならない健康管理と工程管理をしっかり守り、且つ、毎日の走行距離はしっかり守ることに注力してゆかなければならない。

 朝、6時50分、Galva郊外をスタートした。  早朝の道路は交通量も比較的少なく走りやすい。トウモロコシ畑が続く地平線に目をやりながら60km先を見据えて小鳥啼くR91を走り始めた。今日もスタートから自転車に乗る。あたりに広がる広大なトウモロコシ畑。今は刈り取ったあとの茎の残骸だけが枯れた状態で残っているが、このあたりの植え付け、収穫はいつ頃なんだろう?「こんだけの畑でトウモロコシが伸びたらな~んもみえんなあ」などと話しながらスカッと晴れた空の下を走る。道は緩やかな起伏をうねうねと繰り返しながら北に向かって伸びている。

 寛平さんの走りは相変わらず機械のように一定のリズムを刻んでいる。両足は路面を舐めるように、一歩の歩みを置くように狭い歩幅で前に進む。徹底した筋肉に負担がかかりにくい、摺り足、というより「ネコ足」の歩様。リズムは1分間で180歩前後で安定している。しかし、ここ数週間は路面と砂地の間に段差があるため、得意のローラー走法が取れず、舗装路を中心に走らざるを得ないためどうしてもキックを使った走りをしなければならなくなり、結果、足首痛と膝に痛みが出始めている。「早いなあ・・痛みくるの・・」。走り方に絶対の自信を持っている寛平さん、故障を出さずに路面といかにうまく付き合ってゆけるか?を模索するように淡々と走る。ここらあたりは着地の仕方や踏切方でいかにしたら楽で負担なく続けて走れるか?を彼一流の感覚で探っているところなのだろう。そしてそれを克服しながら本能的に身につけていってしまう、走りの非凡さはこの辺だ。イリノイでは午後の2時ごろからが気温が上がり体力的にもきつい。今日は日差しはきついが微風があるためまだ比較的楽だ。

 NYへの到着を7月初旬まで引き上げるには日当たりの走行アベレージを60kmに上げないと難しい。5勤1休を守りながら距離を伸ばすには毎日分を増やしてゆくしかない。今日は60km無事に走り終えることができた。
 今日は休日。
 早朝、応援に来てくれていた慎太郎君とマネジャーの生沼君が帰り、次いで特番チームと一緒に福留さんも帰ってしまい、再びアースクルーは日常のメンバーになった。いっぺんにたくさんの人が帰ってしまい、もとの静けさが戻った、という感じか。明日からまたNYに向けた旅が始まるが、ここからの1か月は距離と時間と体力・気力の闘いになることだろう。

 シカゴまでのルートの下見にデビットと出かける。近いとはいってもシカゴまではまだ130マイルおよそ210kmほど離れているから、あたりの風景は田舎そのものだ。このあたりは農村で、収穫物の代表はとうもろこしと小麦。刈り取りの済んだとうもろこし畑が延々とひろがり、木々と芝生に囲まれ、すっきりしたたたずまいのペイントハウスがところどころに点在する。Galvaの町からR91号でR93へ。BradfordからR29をのぼってSpringValleyをすぎてR6に入ってゆく。Peru~LaSalle~Ottawaに抜ける道筋は古い町並みになっている。ここらあたりは教会が目立つ。一様に立派な建物だ。DaytonでR71、NorwayからR52、そしてR30をJulietに向かう。Julietは大きな町。ウォールマートもマックもなんでもそろっている。シカゴが近いせいか町並みもぐ~んと都会っぽい町並みだ。ここまでが130マイル、およそ210km。宿泊予定のモーテルの目星をつけて帰路に就いた。寛平さんのペースだと4日間の工程になる。

 LAを出発してすでに72日間走っている。環境が変わり、食事が変わり、気候も変わっているが寛平さんの走りはますます進化している。驚異的な回復力と内臓を含めて持った強靭な体力、そしてどんどん包容力を増してゆく人間性、この人は一体どこまで進化してゆくのだろう?いつも思うのだが、寛平さんのアースマラソンはそれに関わる人も、応援する多くの人も、自然も、動物たちも「寛平ワールド」の渦に巻き込まれていっているような気がしてならない。寛平さんがシンプルなパフォーマンスを続けていてくれることで、周囲が勝手にいろんな解釈をし、それがみな「本来のあり方」を希求しているだけなのかもしれないし、その渦を巻き起こしてくれていることに皆が憧れ、共鳴していることなのかも知れない。

 北米大陸横断も残りわずかになりそろそろ佳境に入ってくる。明日からのアースも無事に進むように祈りつつ・・・。
 昨夜はすごい雷が鳴っていた。イリノイやカンザスは3月から5月にかけてサンダーストームという落雷のシーズンらしく、曇りや雨が多い。すでに何度か雷雨でランをやめたり、切り上げたことがあったと聞いている。今朝もどんよりとした曇り空、いつ降り出してもおかしくないような空模様だ。今日は朝から特番が組まれているのでモーテルを6時に出発。昨日は早くから部屋にこもって寝ていたらしいが、深夜に日本との番組出演もあって若干疲労ぎみだ。気温も10℃前後と低いため寛平さんのテンションは低い。午前6時17分、Galesburgという町のはずれ3マイル地点から寛平さんがスタート。いつものようにゆっくりとした走り出しだ。

 我々は特番準備のため、6km先のWataga小学校にむかう。現地では生放送の準備が着々と進んでいた。MC役の福留さんの姿も見える。小さな村ではテレビ中継が珍しいらしく、大勢のギャラリーが集まっていた。青色のランプを点滅させたパトカーまできている。

 今回の特番はエコウィーク=アースマラソンのテーマということで組まれている。東京のスタジオにはMCの明石家さんまさんをはじめ、寛平さんにゆかりの皆さんが集まっているらしい。なぜアースマラソンが始まったのか?地球一周はどんな形で進んでいるのか?太平洋横断は?寛平さんの強さの秘密は?などなどが語られた。やがて寛平さんもその輪の中心として現地から参加。〝パンプキン〟ギャグを連発しながらの登場では、さんまさんに強烈な突っ込みを受けながら軽妙に心境を伝えた。寛平さんの表情ガ変わったのはサプライズゲストで慎太郎君があらわれたときだ。北米横断中についぞ見せたことのないような嬉しそうな顔。緊張感のない、無垢な表情で慎太郎君と二言三言。番組が終わり、ランに戻った寛平さんは結局、30km以上を慎太郎君とともに走り、日ごろめったにない親子の交流をランニングで果たしたのだった。慎太郎くんは寛平さんの走る姿に憧れ高校、大学と陸上部に籍をおいていた。今も毎週3,4回は10kmからときに20kmくらいのランニングを続けているというからおそらく、今回の親子ランニングは楽しくて、思い出に残るひとこまになったことだろう。
KANPEI EARTH Marathon-090602
 およそ25日ぶりにアースの現場に戻る。
 寛平さんはじめ、ブーやん、ムギ、マジシャンこと池田君、デビットの「チーム寛平」はみんな元気一杯だ。ちょうど寛平さんの大阪のゴルフ仲間の皆さん三人が合流中ということもあって、賑やかな状況。ともすれば単調になりがちな北米横断走にあって、友達が応援に来てくれたり、連日のように在米の日本人の皆さんが激励にきてくれたりで現場に悲壮感はみじんもない。

 連日、コンスタントに55〜60km進まないと予定の7月10日NYゴールは、実は楽観できない状況になっている。

 毎日の走り、寛平さんは自身でしっかりと管理しながら走っている。というのは朝起きて、自分の体調がどうか?前日睡眠はしっかりとれたか?食事は十分か(エネルギーは足りるか?)などをチェックしてスタートする。午前中、大体は35〜42km程度進み、午後は3〜4時間かけて15〜20km走ることを主なペース配分にしている。ところが、人のよい寛平さんは応援者へのお礼や伴走希望者が来ると、ついついそのリクエストに応じてしまい、走りの予定やペース配分は自分が頑張ればいいんや、としてしまうのだ。

 誤解を招くといけないから説明しておくと、さすがに3000km以上走ってくると、身体は基本的に疲労の塊になっていて、順調に進んでいるのは寛平さんが疲れた体で速度・歩幅・腕ふり・食事のタイミングなどいろんな要素を含めて「バランス」を保っているからにすぎない。これが一定のリズムを生み出しているわけで、そのリズムが崩れると当然走りも崩れていってしまう。伴走はせいぜい出だしの2〜3km、途中の応援も沿道での応援に徹してくれたほうが、実は寛平さんにとってはありがたいのである。

 くれぐれも応援が嫌、とか迷惑、では決してなく、それくらい疲労がピークにきていて身体はシリアスな状態なんだ、ということをご理解いただいて応援ヨロシク、とお伝えしたいのだ。

 間もなくシカゴを通過してあとは一直線にNYを目指すだけになる。鉄人といえども限界ぎりぎりで走っていることを皆さんにわかっていただければ幸いである。

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